『すっぽんの首』

目黒ええと、次は『すっぽんの首』。2000年10月に文藝春秋から出て、2003年に文春文庫と。エッセイ集ですね。てっきり「赤マント」シリーズの1冊かと思ったら、そうではない。「赤マント」シリーズ以外にこんなにエッセイを書いていたんだね。

椎名そのころは書いていたなあ。

目黒別冊文春が8本、小説新潮が5本、青春と読書が1本、そういう構成です。「自著を語る」の中で、このタイトルに触れているので、まずこれを引くところから始めたい。

表題となった「すっぽんの首」は、しょっちゅう行っていたことのある川べりのキャンプで、すっぽんをつかまえた。そいつをみんなで食おうというときに、すっぽんにかまれると大変だから、竹かなにかをくわえさせ、首をちょん切るためにぐいぐい引っ張っていくと、首が蛇のように長く伸びるということを知った。あまり伸びると気持ち悪いのでそのちょうど真ん中あたりをナタでパキリと切り落とした。なにかほっとしたような、ひどく悪いことをしたような複雑な気持ちになり、みんなで切られたすっぽんの生首をおがんだ。その強烈なイメージがタイトルになった。

椎名別冊文春が多いと思うけど、この雑誌が好きだから、書くのが楽しみだった。

目黒いくつか印象に残った話があるんだけど、まず、「チンポコ島滞在記」が面白い。「沖縄那覇から十九人乗りのチビ飛行機で1時間半ほど飛んでいった海の中にぽつんと孤立している島」に行ったときの話だけど、島の名前は書いていない。なぜかというと、その島に抗争から逃げてきた池袋のやくざがいて、親しくなるんだね。

椎名島の人はおれの名前なんか知らないけど、その人は東京にいたからおれの名前を知っていて、それで東京の話を聞きたいんだろうね、何度も島のキャバレーに連れていってもらった。

目黒島の警察署長と幼なじみというのが面白いよね。

椎名二人並んでもらって写真を撮ったけど、どっちがやくざがわからない(笑)。

目黒その写真、どこかに載せたの?

椎名いや、どこにも発表していない。椎名さん、これ、ちょっとダメだよって言われたし(笑)。

目黒千葉の浮島の話もすごいけど──。

椎名夜寝てたら頭がなんかおかしいんで、おやっと目を覚ますとネズミがいるんだから驚くよ(笑)。生涯最悪の島で、最悪の宿だった。

目黒これは15年ほど前のことだから、いまは違っているんだろうけど。

椎名そうだなあ。

目黒なんといってもこの本の中でダントツなのか、三越の話だね。いやあ、びっくりした。創業三百年の記念式典をまず武道館でやるの。あの武道館の半分をステージにして、半分が客席。そこでフルオーケストラの演奏があって、各国来賓の祝辞、取引先二百五十社と永年勤続者への感謝状贈呈。

椎名映画も上映しただろ?

目黒そうそう。三越制作の三百年記念映画の上映。主演が東野英治郎、栗原小巻。そしてフィナーレが三味線三百丁、踊り手三百人による「元禄花見踊り」。終了間近に天井から5トンの紙吹雪。

椎名それを5万トンの紙吹雪と誤植しちゃったんだよ新聞で(笑)。椎名さん、多くていいんですけどね、武道館の天井に5万トンの紙吹雪を載せたら屋根は確実につぶれてしまうんじゃないですかねえって三越の人にいわれてしまった(笑)。

目黒しかもまだ終わりではなく、その日の夜は帝国ホテルで5000人のパーティ。あるんだね、5000人も入れる宴会場が。宮田輝が司会で、フランク永井を始めとする芸能人がたくさん出て、4時間の大パーティ。すごいよね。

椎名その翌年の春にはパリに三越が新店をオープンするんだ。日本から2000人連れて行ってな。

目黒2000人? すごいね。

椎名取引先を連れていくんだよ。オペラ座の前を羽織袴で行進してさ、その姿を日本から連れていった写真家がみんなで写真を撮るんだよ。恥ずかしかったなあ。岡田茂の絶頂期だったな。その後、三越事件が起きて、岡田茂が電撃的に社長を解任されて、横領背任で投獄されるなんて思ってもいなかったころだ。

目黒椎名はそのときパリを個人的に観光したの? いくら仕事で行ったって、ずっと仕事ってわけじゃないでしょ?

椎名三越ファッションシスターズってのがいてさ、それがパリの各地にいくのさ、その随行取材に追われて、個人的な観光は何もしていない。

目黒そのパリ店の取材で椎名がパリに行ったとき、椎名から絵ハガキをもらったよ。

椎名へーっ。覚えてないなあ。

目黒屋根裏部屋に泊まっていて、ショートホープの残り本数を悲しい気持ちで数えていますって書いていた。いまでもその文面を覚えている。

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