『ここだけの話』

目黒次は『ここだけの話』。2000年6月に本の雑誌社から出た本です。この本の成り立ちについては、椎名の「自著を語る」から引くと、次のようになります。

これは不思議な本である。1993年頃から3年ほど、ぼくは原宿にあるユニオン教会で二ケ月に一度、二時間たっぷりの絵本についての講演をしていた。毎回10冊前後の絵本のテキストがあり、ある程度テーマに沿ってそれらの絵本を語っていったのだが、たいてい前半部分はそのテーマといくらか関係のある日常的よもやま話をしていた。後半は授業のようにテーマにそった絵本の話になる。この本はその速記録をもとにして、目黒考二がその講演の前半部分だけを集めて一冊にしたものである。だから聞き書きのジャンルにもなるものだ。その講演の後半部分はクレヨンハウスから『絵本たんけん隊』としてまた別の単行本になっている。どちらも優れた編集者がいたから可能になった二冊で、ひとつの講演をそんなふうに真っ二つに割って上下それぞれ独立して単行本にしてしまうなど、話をしているぼく自身にはとてもできないことである。

膨大な速記録をまとめるのが大変だった記憶があるなあ。ネタに困って椎名に何かないって聞いたら、これがあるぜって渡された速記録が膨大な量なんだよ(笑)。

椎名あまりにも膨大なんで、誰も手がつけられずに残ってた。

目黒そうだよね。1993〜1996年の講演なのに、本の雑誌社から出たのが2000年ということは、しばらく眠っていたんだ。でも、いま読んでもなかなか面白いよ。

椎名ほお。

目黒映画「白い馬」の次は、イヌイットの話、その次はアメリカ・インディアンの話、と続けば、モンゴロイドの系譜を追った一つの映像記録になるのではないか、というくだりにはえっと驚いた。そんなことを考えてたの?

椎名真面目に検討してたよ。

目黒ふーん。あとは、作家になったとき、家を捨てるということをかなり真剣に考えてたってことも意外だった。「火宅の人」になろうとしていたっていうんだよ。単身でスペインに移住することを考えていて、そのためにスペイン語を習っていたなんて全然知らなかった。

椎名おっかあには言ってたよ。

目黒でも、椎名が作家になったときって1979年だから、まだ二人の子供も幼いよね。離婚するわけじゃないけど、単身でスペインにいくってことは、しばらく子供とも会わないってことだよね。そんなことを考えていたなんて驚くよ。

椎名まあ、ずっと行くって話じゃなくて、3カ月くらいいくってことだけどな。

目黒あの有名な「長崎の女」のころとほぼ同じ頃だよね。その少しあとか。「長崎の女」について少しだけ説明しておくと、椎名が長崎に行ったとき、バスの停留所に立っていた現地の女性と目があって、思わずここで降りちゃおうかと思ったと。ここで降りてその見知らぬ女性と一緒に暮らそうかと。つまりそのとき自分がもっている職業も家庭もすべて捨ててしまおうという衝動にかられる瞬間をエッセイに書いていて、それはのちに『パタゴニア』に収録されているから、ファンにはいまさら説明するまでもないんだけど。つまり、そういう衝動は長崎に行ったときだけではなくて、しばらくずっと続いていたということだ。いやあ、びっくりしたなあ。

椎名結局、スペインにはいかなかったけどな。

目黒ええと、あとは細かなことばかりだな。石焼き芋は昔、壺焼き芋だったとか。

椎名壺の中で火を炊いて、そこに芋をつり下げて焼くんだよ。

目黒石焼き芋が登場したとき、すっごく新しい方式だなって思った記憶があるんだよ。でも、その前の方式を忘れてた。壺焼きシステムだったんだ。あとね、面白かったのは幼いときに餅を隠していたって話(笑)。

椎名うちは人数が多かったから、食べられないように隠してたんだ。

目黒誠はお餅を隠しているでしょうって母親に叱られるエピソードが可愛いね(笑)。

椎名ずっと隠していると、黴が生えちゃうしな(笑)。

目黒あとは小学校時代に弁当とは驚いた。おれとたった2年しか違わないのにね、おれは給食だぜ。あの悪名高い脱脂粉乳を毎日飲んでたんだ。東京と千葉の違いなのかな。

椎名養鶏場の子は毎日卵で恥ずかしいから弁当を隠して食べるんだよ。おれからすれば毎日卵なんて羨ましいのに(笑)。

目黒潜っているときに笑うと水中眼鏡の頬の部分がずれて、その隙間から水が入ってくるから出来るだけ笑わないようにしたって話も面白かった。

椎名それはごくごく常識的な話だけどな。

目黒ダイバーには当たり前のことでも、知識のない人にとっては興味深いよ。

椎名そうなんだ。

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