『フグと低気圧』

目黒それでは『フグと低気圧』です。1986年に講談社から刊行されて、1989年に講談社文庫に入ったものですね。もともとは小説現代に連載したやつで、単行本のあとがきには、当時の宮田昭宏編集長が「ジャンル、テーマ、題材、枚数進路方針決め技固め技とにかくぜーんぶ自由、何やってもいいかんね、という驚くべきオープンステージを与えてくれた」と書いてある。で、増刊号の「自著を語る」では、「何とも形容のし難い本で、いろんな種類、スタイルの作品をくりだした。自分では気に入っている1冊」とあるんだけど、これ、いま読むといろんなスタイルの作品というほどそんなにバラエティに富んでない(笑)。

椎名何を書いてるの?

目黒大半が行動録だね。高知に行くだけの話とか、スーツを買いに行くだけの話とか、中村征夫さんと四国の海にいくだけの話とか、沢野と沖縄に行くだけの話。こういう「だけの話」がほとんど(笑)。

椎名征夫さんと四国に行ったのは覚えてるなあ。征夫さんがフグをたらふく食ってさ、おれが鰹の刺し身をたらふく食ったのを覚えてる。

目黒すごいねえ。三十年近く前のことなのに、何を食べたのかまで覚えてるんだ。この本、読み返したわけじゃないんでしょ?

椎名全然読んでない。

目黒そういう行動録に終始していて、ジャンル、テーマ、題材、なんでも自由と言われたわりには単調で、ひろがりがない。ただし、初期エッセイのようにいま読むと辛い、ということはない。というのは、初期エッセイは椎名がどこかへ行って無理にその感想を書くというかたちが多く、それがいま読むと辛い側面があったんだけど、ここにあるのは初期から中期に移る過渡期のエッセイなので、そういう辛さはない。つまり行動録に徹しているので、日記を読むかのような感じがある。

椎名日記を読む面白さはある、ということか。

目黒そうだね。ただ、冒頭に収録されている「蚊学の序」というエッセイは面白い。おれは何度も聞いた話だけど、世界のいろんなところで蚊に遭遇した話はやっぱり行った人でないと知らないから、こういうのは面白いよね。そういう面白いやつが幾つかはある(笑)。そうだ。驚いたことがある。

椎名なんだ?

目黒「怒の日」というエッセイがあるんだけど、新宿の紀伊國屋書店で若者を殴った話が出てくる。これ、活字にしていたとは知らなかった。2階の雑誌売り場で、体を押し合って殴っちゃうというくだらないやつ(笑)。でね、夕方、出版社の友達に電話して「紀伊國屋で今日何かあったんじゃないかと思うんだけれど聞いてみてくれないか」と頼むと、その友達が翌日、「昨日の件ですが、何か雑誌売り場でつまらないコゼリアイがあったようですよ」と教えてくれるいきさつが書かれているんだけど、このとき頼まれたのはオレだよ(笑)。

椎名そうだったか(笑)。

目黒会社にきてね、メグロ、やばいよ、いま客を殴っちゃったと。えっ、殴っちゃったの、困ったなあとキッチン野口(当時の営業)に紀伊國屋まで行ってもらったんだよ。そしたら何も話題になってませんと。でもまさかその話を活字にしていたとは知らなかった。読んでなかったのかなあこの本。それとも読んだけど、忘れてたのか。違うか。この文庫本の解説はおれが書いているから、読んでないわけがないんだ。

椎名お前が解説、書いてたの?

目黒おれも忘れてたんだ。

椎名そういうことはよくあるよ。

目黒1986年に刊行されたということは、小説現代に書いたのはたぶんその前年で、1979年にデビューした椎名がいちばんマスコミに取り上げられていたころだよね。そういうときに、しかも書店の中で喧嘩しちゃうんだから、困った人だよね(笑)。

椎名しかもその少し前に紀伊國屋書店でサイン会をやってるんだ(笑)。

目黒(笑)。講談社文庫版のおれの解説は、いま読むとちょっと褒めすぎかなという気がしないでもないけど(笑)、この本の中に「ぼくたちの大運動会」という作品が入っていて、それについておれは書きたかったんだ。これが唯一小説らしい作品と言えるかもしれないけど、その運動会を主催した一人として、それを椎名がどう小説化したのかという話を解説で書きたかったんだね。あの話、書いていいかと椎名が言うんで、いいよと返事したんだけど、どこで見てたんだと驚いた記憶がある。椎名は細かなことを知らないはずなのに、だっておれたちに取材もしてないよね。

椎名してないな。

目黒あの運動会は、オレとトクちゃん(池林房チェーンのオーナー)と明石さん(トクちゃんの親友で、アダルトビデオの会社VIPの社長)の3人が何回も協議を重ねて始めたんだけど、社会人になってから運動会をやったことがないって酒場で何かのときに話が出たのかな。じゃあやろうよってなったわけ。「運動会のやりかた」って本はないから、最初はとにかく大変だった。100メートル競争を1組6人で8組やったときに何分かかるかということが最初はわからないわけだよ。で、それがわからないとタイムスケジュールが組めない。しかも当日来た人は自分が何の競技に出るのか分かってないから、次の競技に出る人を集めるのが大変。おれ、朝からずっと走り回ってたよ。

椎名よくやったよなあ。あの小説を書いた直後、あれ、作り話でしょって何人もの人に言われたなあ。

目黒最初は3年連続でやって、それからは2年か3年に一度になって、最後の年は覚えてるなあ。都心のグラウンドをもう借りてたんだよ。秋にやる予定で。で、8月に明石さんが亡くなって、新潟競馬から帰る途中にトクちゃんから電話がきて、「今年は中止だな」ってトクちゃんがぽつって呟いたの。それから運動会はやってない。

椎名その話聞いてたら書いたのになあ。

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