『むはの断面図』

目黒ええと、次は『むはの断面図』か。1986年4月に本の雑誌社から刊行されて、2004年に角川文庫に入りました。これも意外だったんだけど、いろいろなとこに書いたやつの寄せ集めだった。『むははは日記』のときも、本の雑誌に書いたものをまとめたんだろうと思ってたのに違っていたんだけど、これも同様に違ってた(笑)。オレが作った本なのに、全然忘れてる(笑)。

椎名そうだよ、お前が作ったんだぜ。

目黒本の雑誌、小説現代、アスペクト、朝日新聞、月刊プレイボーイ、世界、北海道新聞、青春と読書、ペントハウス、小説宝石と、まあばらばらだよ。この中で面白いのは、月刊プレイボーイに書いた映画評だね。「血煙り試写室」というんだけど、これが面白い。椎名はいっさい粗筋を書かないんだ。短いということもあるんだけどその本質をずばりと指摘する。たとえば、高倉健主演の「駅」という映画のところでは「ひと昔前、東映時代劇なんかが全盛の頃になっていた半年に一ぺんくらいのオールスター映画なのではないか」と書いている。これが当たってるかどうかは、その映画を見てないからわからないんだけど、すごく面白いよね。こういう映画評ってその後やってるの?

椎名やってるよ。キネマ旬報にも書いてるし。

目黒本になってる?

椎名いや、まだ原稿が1冊分も溜まってないから。映画評は短いからな。

目黒じゃあその映画評が一冊になるとき、この「血煙り試写室」も一緒に収録したほうがいいよ。で、「椎名誠全映画評」とすればいい。

椎名いつになるかわからないけどな。

目黒「モスクワは涙を信じない」という映画の評もいい。このソ連のメロドラマの映画評では、映画に出てくるソ連製のザ・マンザイのようなものがはてしなくつまらなく、どうしてソ連の人々はあんなに大笑いするのか不思議であったと書いたあと、こう締めくくっている。「これを見ているかぎりではモスクワの笑いのレベルは日本より二十年は遅れている。モスクワの涙は信じていいけれど、笑いの方はちょっと信じられないのだ」。座布団一枚、あげたいよね(笑)。

椎名映画はなかなかいい映画だったよ。

目黒あと、日記がここにも少し収録されているんだけど、やっぱり日記は書いておくべきだねえ。いま読むとすごく興味深い。忘れてることが多いからさ。たとえば1984年9月に、目黒考二、週刊宝石の猪口氏と八丈島へ、と出てくるんだ。ここを読んで思い出したけど、藍ケ江の漁師小屋で漁師ズボンを買ったのはこのときだ。でも、どうしてこのとき八丈島に行ったのか全然覚えていない。三人旅だよ。ヘンだよねえ。

椎名おれに聞くなよ(笑)。おれが覚えてるわけがない。

目黒面白いのは、1985年3月の日記に、青春と読書に書いていた私小説のタイトルがまだ決まらない、「岳物語」でいいと思うのだが、担当者がすこし難色を示している。山岳小説みたいだと言うのである──って書いてあるんだけど、このときの担当者って誰? あのときにそんなことを言ったなんて、たぶん本人は忘れてると思うけど。

椎名山田じゃないかなあ。

目黒『日本最末端真実紀行』や『イスタンブールでなまず釣り』と、この『むはの断面図』は、各誌に書いたエッセイの寄せ集めという点では同じなんだよ。でも、自分が作った本だから言うわけじゃないけど、この『むはの断面図』はいま読んでも面白い。

椎名どこが違うんだ?

目黒この本の半分が、「血煙り試写室」と「日記」だということがヒントだと思う。つまりね、『日本最末端真実紀行』とか『イスタンブールでなまず釣り』では、どこかへ行って、その感想を書かなければいけないわけだよ。帝都縦断した感想とか、団子を食べた感想とか。そんなのどうでもいいじゃん本質的には(笑)。だから結果的に嘘くさくなる。当時はそれでも面白かったんだけど、そういう嘘くさい構造が三十年もたつとあからさまになってしまうということがあると思う。ところが日記はあったことを書くだけだからね、感想はいらないんだ。だから風化しない。そういうことじゃないかなあ。内容が面白い映画評と感想を不要とする日記、これで半分が成り立っているから、いまでも『むはの断面図』は読める、ということのような気がするなあ。違うかなあ。

椎名どうかなあ。

目黒1985年の4月に、目黒と陶玄房で本の雑誌43号の打ち合わせしていたらそこに沢野がやってきて「今日息子が犬に噛まれたらしいんだ」と言うくだりがある(笑)。椎名が「それなら早く帰れよ大変じゃないか」と言うと沢野はすぐに帰るの(笑)。これ、本当かなあ、早く帰りたかったんじゃないかなあ(笑)。

椎名ホントだろう?

目黒その翌々日の日記に、夕方からまた陶玄房で打ち合わせをしていると沢野がやってきて、「犬に噛まれたというのはどうだった」と聞いたら、「うん血だらけだったらしいけど大丈夫。今度その犬に会ったら噛みついてやれ、と言っといた」。十一時まで酒を飲むって書いてある。

椎名くだらないねえ(笑)。

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