『もう少しむこうの空の下へ』

目黒次は『もう少しむこうの空の下へ』。小説現代に書いた1回20枚の、エッセイふう私小説13本をまとめたもので、すべて旅の話で共通している。しかも海べりの町に行く話だね。八丈島、沖永良部島、奄美大島、幕張、寺泊、知床と。2000年7月に講談社から出て、2003年8月に講談社文庫になっている。エッセイでもなければ、かといって小説かというと、なんだろう、ジャンル不明の作品集だね。これ、覚えている?

椎名1回20枚でジャンル不明のものをおれは幾つか書いているんだけど、これはその無意識の練習だな。

目黒あ、書いてるの? こういうやつ。じゃあ、これから出てくるのかな。

椎名小説はむずかしいからさ(笑)。

目黒この形式は書きやすい?

椎名うーん、どうなのかねえ。

目黒あのさ、沖縄のケータ島ってあるの? いや、違うわ。解説で太田和彦が、慶良間諸島と思われるって書いてるわ。このケータ島を舞台にした短編が2編あるんだよ。「花火のまつり」と「そこにいけば」の2編。

椎名ああ、親子が出てくる。

目黒そうそう。島崎幸子と翔の親子。これが妙に実在感というか、リアルなんだ。

椎名それはモデルがいるんだ。石垣島で映画を撮ってるとき、翔がまだ2歳だったかな。海岸で焚き火をしてたら、なぜかヤドカリがいっせいに近づいてくるんで、焚き火のまわりに砂で堤防をつくったんだよ。翔と二人で。話は飛ぶんだけど、そのときのことは後日、光村図書の教科書に「ヤドカリ探検隊」という短編をかいた。

目黒書き下ろしたの?

椎名そう。その後もこの親子とはずっと付き合いがあって、その初期のころのことを書いたのがこの2編だね。

目黒なるほどね、面白いのは逆にね、「風に舞う島」という短編があって、そこに博多天神の居酒屋の女主人が出てくる。でね、こういう文章がある。「結局この島にやってきたのは、ゆりえへの思慕をまだ断ち切れずにいる自分のことを確かめにきたようなものだな、と思った」。字面を信じちゃうと、おお、恋愛の告白かよって思う箇所だけど、これは創作だよね。

椎名そうだな。

目黒実体験ならこういうふうには書かないよね。でもこれ、モデルはいるの?

椎名いろんな人をくっつけてるな。

目黒椎名がよくエッセイで書いているけど、博多の女性が飲み屋で男を叱る場面を見て、方言で怒る女はいいと。何度も書いてるよね。その人がモデルではない?

椎名その要素もここに入っているかもしれない。

目黒島崎幸子、翔の母子のような実在感、リアル感がこちらにはないんだよ。

椎名それは小説家としてはまずいよな(笑)。

目黒「木の踊り」に出てくるアツエという女性がいるんだけど、これはモデルがいる?

椎名これは覚えてないんだよ(笑)。

目黒そのアツエは「沖縄の人特有の、目鼻だちが整って眉のくっきり濃い美しい女性だった」と書かれている。

椎名沖縄の女性はみんなそうだからなあ(笑)。

目黒このポイントはね、アツエも幼い子を持つ母親なんだよ。

椎名ポイントって何だよ。

目黒この『もう少しむこうの空の下へ』は、海べりの町を訪れる話で共通していると最初に言ったよね。もう一つの共通点、幼い子を持つ若い母親が何人も登場すること。島崎幸子のようにね。つまり、これが椎名の理想の女性とは言わないけれど、憧れの女性なのではないかと。だから、『もう少しむこうの空の下へ』は海べりの町を訪れる男のエッセイとも小説ともつかない話ではあるんだけど、そういう著者の秘かな憧れをモチーフにした作品集と言えるような気がする。

椎名そういわれるとそうかもしれない。さっき、そこで若いお母さんが自転車に幼い子を乗せて走っていく姿を見たけど、真剣な表情で、綺麗だったよね。たぶん、化粧もしてないんだろうけど、その真剣さが美しい。

目黒なるほどね。全体的なことを言えば、これは椎名の作品のなかでそれほど優れた出来の作品ではないと思うんだけど(笑)。

椎名まあな。

目黒でも、島崎幸子とかアツエとか、妙に実在感のある女性が強い印象を残す作品ではあるよ。

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