『草の国の少年たち』

目黒それでは、『草の国の少年たち』です。これは1992年12月に朝日新聞社から刊行されて、1996年1月に新潮文庫に入ったんですが、そのときに改題して文庫は『ナラン 草の国の少年たち』になっている。さらに映画「白い馬」パンフレットに載った「プロダクション・ノート」と、月刊プレイボーイに書いた「NARAN」を元版に足しているので、分量は倍近くになっている。まず、文庫版の表紙になっているモンゴルの少年バーサンフーがいいね。

椎名映画の主人公ナランを演じてくれた少年だ。

目黒彼に決まるまでが大変だったと本書にあるけど。

椎名馬が上手でいい面がまえをしている遊牧民の少年は、生まれたときから草原に生き、草原しか知らないような生活をしているから、映画の中で台詞を喋り、演技をするといったことがどうも難しいらしい。

目黒で、オーディションをやったわけだ。ところが集まってきた都会の子は、明らかにひよわな感じだったと。

椎名決定的な誤算は、ちょっといい面がまえをしている子供でも馬に乗れないのがほとんどだったということだね。都会ではもう馬に乗る機会がないんだ。

目黒ほお。でもやっと見つけたわけだバーサンフーを。この7歳の少年が椎名のゲルに入ってくるくだりが面白いね。彼にとっては、双眼鏡、ウォークマン、撮影記録用ノート、万年筆、ウィスキーの瓶なんか宝の山だろうから、じっと食い入るように見て。ところが言葉が通じないから、それらの品物の使い方を説明できない。そこにこうある。

そのうちに、まあ、部屋の中に入ってきた人なつっこい犬か猫みたいなものだ、と思うことにして、少年のことを気にせずに自分の原稿仕事にふたたび没頭した。
少したってフト顔をあげると、やっとゲルの隅に座り込んで背中を丸め、何やら黙り込んで熱心に両手を動かしている。ハテ何をしているのかな?と思いそっと覗いてみると、おお、なんてことだ。やつはフィルムの沢山入った箱を見つけ、そのプラスティックのケースを開けてパトローネを取り出し、生フィルムを次々に引っぱり出している のだ。既に十数本のフィルムが引っぱり出され、あわれな怪物スルメのようになってわらわらひろがっている。

いたずら小僧が静かにしていたら注意しなければならないということを忘れてた、と椎名はそこで書いているんだけど、少年の無邪気な様子と、椎名のあわてた様子が伝わってきて面白い。そのあとで、フィルムを入れるプラスティックのケースを欲しがるので少年にあげると彼が喜んだと。

椎名密閉する容器なんて彼には宝物なんだろうな。

目黒その容器を椎名から貰うときの様子もいいよね。それはこう書いてある。

モンゴル遊牧民の子供はみんなそうだが、親から礼儀のイロハをきちんと教え込まれているので、彼らは何か人にモノを貰うとき、必ずきちんと両手を差し出して、まことにうやうやしく頂戴する。それはたとえアメ玉ひとつでもそうするのである。ノーマルな礼節がめちゃくちゃになってしまっている国から来た者にとって、このきちんと身についた習慣は少々まぶしくうらやましい。

ここは印象に残ったなあ。

椎名これも映画の副産物だけど、映画を撮ると本当にたくさん本が出てしまうんだ。

目黒でもね、モンゴル滞在記なんだから、同じようにモンゴルを旅した記録を書いた『草の海』とダブルことは少なからずあるんだけど、そんなに同じことの繰り返しって感じはないよね。

椎名そうか。

目黒それは写真が違うってこともあるのかもしれない。それにいま読むと意外にいいのは、これが映画映画してないことだよね。映画の宣伝に徹した本だと、映画が公開されているときはいいけど、20年もたって読むと時代の空気が違っちゃってるから、なんだろうってわからないことがあるものだけど、これは映画映画してないから、いまでも読める。モンゴルという我々がまだよく知らない地域を描いた本ということもあると思う。生活や習慣が日本とは異なるから、そういう未知の国を旅した記録として読むことが出来る。本としては悪くないよ。

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