『アド・バード』

目黒それでは、『アド・バード』です。1990年集英社から刊行されて、1997年集英社文庫に収録。この文庫解説は私が書いているんですが、この『アド・バード』には原型が3つある。まず最初は、目黒考二の個人誌「星盗人」に書いた30枚の短編「アドバタイジング・バード」、これが1972年だね。その4年後の1976年に「月刊ストアーズ・レポート」に「クレイジー・キャンペーン」を、さらにその翌年の1977年に雑誌奇想天外の新人賞に応募した100枚の「アド・バード」と、原型が3つある。

椎名しつこいなオレも。

目黒ただ、最初の「アドバタイジング・バード」と、最後の「アド・バード」ではかなり内容は変化している。「アド」と「バード」は残っているけど、まったく違う話といってもいい。

椎名そうだな。

目黒雑誌すばるの連載は1987年から1989年12月号まで。つまり「星盗人」に最初の原型を書いたときから数えると15年がたっていたから、たしかにしつこい(笑)。

椎名すばるに書いたときは当初1年間の約束だったんだけど、書いても書いても終わらないんだ。そうしたら当時の担当だった編集者が、こうなったら気のすむまで書いてくださいって言ってくれたんだ。あれはありがたかった。

目黒何という人?

椎名もう亡くなってしまったけど、片柳さん。

目黒そのすばるに連載していたころ、第1章を書き上げたときにオレのところへ夜中電話をかけてきたのよ。それは覚えている?

椎名何?

目黒もうあとが続かない、どうしたらいいんだと言うわけよ。そんなの簡単だよ、これまでのことを全部忘れて、全然関係ない話を書けばいいんだよって、おれは無責任なアドバイスをしたの。あれは覚えてる?

椎名ああ、覚えてるよ。ホントに困ってたから。お前に言われて気持ちが楽になった。

目黒そんなことしたら、それまでの話とあとでつながらなくなるだろって椎名は心配したんだけど、大丈夫、絶対にどうにかなるからってオレが言ったら、そうかあって。

椎名そう言われると気持ちも楽になるよな。

目黒でもそれは作家の才能がなければ、つながらないよね。

椎名えっ?

目黒まあ、結果的につながったんだから、いいじゃないの。おれがいちばん驚いたのは、そうやって書いた第2章の頭の「戦闘樹」だよ。まさか、こんな話を書くとは思ってもいなかったから、すげえなと。それに結果的に、あの「戦闘樹」の話を挟むことで物語に奥行きが生まれたよね。

椎名つながらなかったのかもしれないのか。

目黒当時、朝日の文芸時評で高橋源一郎さんが絶賛した。それは『自走式』にも収録されているけど、その一部をここに引くと、

椎名誠の小説を読んでいると、言葉にも肉体というやつがあるのだなと納得する。擬音の多用は下品とされるが、上品がなんぼのもんじゃい。宮沢賢治以来、こんなに擬音の使い方がうまい人がいたかしらん。

椎名なるほど、嬉しいね、いい人だね(笑)。

目黒この『アド・バード』は日本SF大賞を受賞したんですが。

椎名いまだから言うけど、おれは『武装島田倉庫』でとりたかった。

目黒でも、『アド・バード』のほうが先なんだから仕方ないよ。そうか、この『アド・バード』で直木賞を取ればよかったんだ(笑)。で、『武装島田倉庫』で日本SF大賞。いまから考えれば、椎名のピークのころだね。

椎名そうか。

目黒SFのピークのころと言い換えてもいいよ(笑)。

椎名いや、正直に言って、いまはこの筆力はないな。

目黒このころに書いておいてよかったよ。でもね、こういう傑作を書いた人なんだから、その後も締め切りに逃げずにきちんと向き合っていれば、もっと傑作は書けたと思う。

椎名映画なんて始めなければもっと書けたってお前によく言われたなあ。映画制作はお前にずっと批判されていたからなあ。

目黒まあ、それもあなたの選んだ人生なんだから。

椎名悔い多き人生だな。

目黒悔い、あるの?

椎名ないけどな(笑)。

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