『ホネのような話』

目黒ええと、『ホネのような話』は1989年8月に東京書籍から刊行され、1994年4月に角川文庫に収録と。これは対談集ですね。椎名は対談のMCは不向きだってこのインタビューで何度も言ってきたんだけど、まだやってたのかよと思ったら、これはどこかの雑誌でMCをやってたわけではなくて、先方に呼ばれたり、あるきは1回きりの雑誌対談に出たりしたやつをまとめたものだね。

椎名どうして東京書籍から出たの?

目黒それはあなたがあとがきで書いている(笑)。「この対談集を企画して本づくりに着手してくれたのは東京書籍の小島岳彦さんだ。ぼくは彼の集めてくれた自分の対談原稿に目を通したりしなければならなかったのだが、締切りのはっきりしていない仕事は徹底的にニゲルというぼくのもうひとつのどうしようもない人間性の被害にさらされ、結局この本は出来上がるまでに四年もかかった。その間に加えたい新しい対談も出てくるし、ぼくは仕事をしないしで、こういう本をつくりよりはダムでもつくっていた方がよっぽどましだ、と彼は思ったことだろう。いやほんとうにすまなかった」。思い出した? 「全自作を語る」では、「この本の担当編集者である小島さんという人が、もう熱心を通りこしてスッポンのようなしつこさで迫ってきたためについ負けてしまった」と語っている。

椎名思い出した(笑)。

目黒これはね、心配していたほどじゃなくて面白かった。それには二つ理由がある。一つは、井上ひさしとの対談は1984年だけど、湯川れいことの対談も1983年か。この二つを除くと、あとはデビュー7〜8年後のものなんだよ。つまり初期対談がいま読むと辛いのは、デビュー直後の椎名がビッグネームを相手にすると、媚びるとは言わないけれど遠慮がある物言いになって、それが恥ずかしいからなんだけど、デビューして7〜8年もたつと、椎名にも余裕が生まれてくるから、そういう遠慮ある物言いが姿を消してくる。もう一つは、そういうものを中心に選んだからなのかどうかはわからないけど、半分以上が親しい人との対談であることだね。野田知佑、東海林さだお、沢野に木村に中村征夫、佐藤秀明に中沢正夫、そういう人たちとの対談だから、これはリラックスできる。ただね、一つだけ注意しておきたい。

椎名なに?

目黒島森路子との対談の中で、「目黒がお茶の水茗渓堂に十部くらい持っていったのね。そしたらまたたくまに売れてしまった。で、百部追加したら、また売れてしまった。しかし、そのうちの十部くらいは、カウンターに置いてあったから、PR誌だと思って、誰か持っていっちゃったらしい(笑)」と椎名が言っているんだけど、そんなことあるわけないって。

椎名これはお前から聞いたんだよ。

目黒えーっ、嘘!

椎名これは覚えてるよ。

目黒昔の話になると、椎名はいつもいい加減なことを書くことが多くて(笑)、こっちもそんなのはどうでもいいから気がついても何も言わないんだけど、今回はたまたまこういうインタビューなんで、ちょっと注意しておこうと思ったんだ。それなのにオレが言ったの? なんだか自信がなくなってきたなあ。

椎名その話聞いて、十部損したなあって思ったのを覚えてる。

目黒ふーん。じゃあ、いいや(笑)。ええと、面白かったのは、野田さんとの対談で、犬ガクをユーコンに連れていったら向こうの人にびっくりされたって話。なぜならあっちの犬は可愛がられないから人間に懐いていないと。ところが犬ガクは幼いときからいろんな人間に可愛がられているから、人間を見ると喜んで尻尾を振ると。そういう性格の良さがガクにはあった、という話が面白かった。

椎名モンゴルの犬なんて蹴っ飛ばされてるからね。パタゴニアの犬も名前なんか付いてない。

目黒そうなんだ。いちばん興味深かったのは、井上ひさしさんとの対談で、尾崎紅葉が後半いい作品を書かなかったのは日記を書きすぎたから、という話が面白い。亭主の留守に日記を点検する妻のために、まず一つ目の偽日記を書く。で、愛人に置屋をさせていたが、その置屋から出ている若い芸者を今度は恋人にすると、置屋をやらせている最初の芸者のために、ばれないように第二の日記を書いたと。こういうふうに偽日記を書くのに忙しかったので尾崎紅葉はいい作品を書く暇がなかった、って言うんだけど、これ、抜群に面白いよね。こういう文壇裏話ってどこまで知られているのかわからないんだけど、おれは知らない話なんで面白かった。こういう話をもっと読みたいなあ。

旅する文学館 ホームへ