『ハーケンと夏みかん』

目黒それでは『ハーケンと夏みかん』にいきましょう。これは「山と渓谷」に連載して、1988年5月、山と渓谷社から刊行され、1991年3月に集英社文庫に収録と。連載時のタイトルが「あやしい探検隊ボコボコ山を登る」というものだったように、あやしい探検隊の外伝という位置づけだね。これは面白いのと問題があるのと、複雑だね。

椎名問題って何?

目黒たとえば表題作は、数カ月前に椎名に話を聞いたんだけど、すごくいい話だよね。高校時代に学校をさぼって、沢野と鋸山に行ったと。そしたら向かい側の電車に先生が乗っていて、あわてて体を隠したと。二人とも山登りの経験はまったくなくて、だからロッククライミングで5メートルくらいずり落ちて、山登りは難しいなあって帰ってくるだけの話。すごくいい話だと思う。だから期待して読んだんだけど、椎名の話のほうが面白い(笑)。もったいないよ、あんなにいい話なのに、あっという間に終わってしまう。すごくいい素材なのに、このころの椎名にはそれを熟成して書くだけの筆力がなかったということかなあ。いま書けば、絶対にもっとよくなるよ。素晴らしい青春の一ページじゃん。もったいない。

椎名沢野がある日突然、椎名君山登りしようよ、と言ってきたんだよ。でも、二人とも登ったことないんだから、ばかだよな。沢野のお兄さんがロッククライミングの経験者で、山の道具は持っているから、沢野がそれをこっそり持ってきて、で、鋸山に行ったんだ。二人とも山の本はたくさん読んでいたから、やれないことはないと沢野は言うんだよ。で、二人でザイルをかついでさ。

目黒だからさ、いい話なんだよ。それを椎名は小説として書いたつもりなんだろうけど、いま読むと作文に終わっている。

椎名いま書けば傑作になるなあ(笑)。

目黒玉石混淆なんだよ。たとえばね、その表題作の次に入っている「雪山ドタドタ天幕団」というエッセイがこの時期の椎名エッセイの悪い見本になっちゃってる。あ、この本は当時の担当者三島悟が解説を書いていて、それによると「この連載は原則として、毎月山に出かけて、その体験をもとに紀行や短編を書いてもらうというスタイルだったが、なにしろ多忙な人だから、ときに過去のことや、山以外の地球凸凹、自然に関するものならなんでもOKという、緩やかな制約のなかで始められた」ということなんだね。だから小説もあればエッセイもあり、という構成になっていることは言っておかなければならない。

椎名何を書いたの? その雪山なんとかで、オレ?

目黒高校時代に沢野と雪山にいく話が半分を占めるんだけど、量が多いわりにこの挿話は何の印象も残さない。そのあとの話のほうが強く印象に残るというバランスの悪さがまずあるね。その後半は若いころに、ユー玉や依田青年や沢野と雪山にいく話で、「山小屋というのはおしなべて気分が悪い」というのがまず椎名らしくて面白い。小屋の管理人や手伝いの連中がなにか妙にいばりちらしているし、夜になるとみんなを車座に座らせて、さあみなさんせっかくだから歌をうたいましょうと率先してはしゃぎまくったりする。そこで、山に行くなら絶対に天幕! というのが基本行動になったというんだけど、テントの中でひたすら酒を飲むだけだから、飲みすぎちゃって他のパーティがしっかりザックを背負ってザッザッザッと近くの雪道を踏みしめる音を聞きながらも翌朝全然起きられないというのがケッサク。このテントの話だけにすればいいのに、前半の話は明らかに余計だよね。おまけに、このテントの話に続けて、サラリーマン時代に雪山で映画を撮った話を書き出すと今度は映画つながりで、日本海の粟島で「源作じいさんの島」という16ミリ映画を撮った話になっていく。ここまでくるともう雪山は何も関係ないよね。つまり、思いつくまま書いていくのでこういうふうになる。

椎名全然覚えてないなあ(笑)。

目黒三島悟の集英社文庫の解説はいいね。最後にそれを引いておきましょう。

「元祖あやしい探検隊は、漫然と焚き火を囲み、ただひたすら飲みまくるという、評価基準の定まらぬ旅に終始していたが、このとき初めて遊びにカヌーという道具を持ち込んだのである。猿が道具を使うことで人類の初期発展段階を遂げたように、あやしい探検隊がこの旅において自己止揚をかちとり、第二次あやしい探検隊=いやはや隊へと変貌するのである」

三島の解説はいつも正確なんだけど、これも鋭い。まあ、いろいろ問題はある本だけど、あやしい探検隊のファンは、過渡期の姿がここにあるので資料として読まれたい、というところでしょうか。

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