『さよなら、海の女たち』

目黒それでは『さよなら、海の女たち』にいきます。連載したのは「青春と読書」。1988年9月に集英社から刊行されて、集英社文庫に入ったのが1991年11月。『自走式漂流記』に収録の「全自作を語る」では、「岳の話がうまく書けなくなっていた時期でした。だけどせっかく切り開いた私小説の路線は何とか続けたかったので、自分から進んで書こうとしていったのが、この本です」と書かれている。椎名があちこち飛び回っていたころなので、いろんな土地で見聞きしたことがベースになっている。たいしたことないって言えば、たいしたことない(笑)。わりにスケッチふうな作品が多い。

椎名覚えてないなあ(笑)。

目黒ただね、この中に「秘密宅急便」という短編がある。これがいいんだよ。知床半島にいったとき車で送ってもらうというだけの話だけど、ここに出てくるヨシエという人物がとても印象深い。たとえば「座間見にて」という短編と比べてみると明らかなんだけど、こちらにはそういう印象深い人物が登場しないので、ようするにただのスケッチで終わっている。それに比較すると、「秘密宅急便」は読み終えても残り続ける。つまり小説として奥行きのある作品になるか、椎名が通りすぎた風景のスケッチで終わってしまうかは、ほんのちょっとの差なんだなということがよくわかる。

椎名ふーん。

目黒エッセイもあるから作品集としては、ばらつきがあるね。

椎名まだ小説練習をしているころの本だね。いまでも練習をしているっていえば、そうなんだけど(笑)。

目黒「三分間のサヨウナラ」という短編の中に、十七歳の女の子の姿を海辺で三分間だけ撮るって話が出てくるんだけど、これは実話?

椎名友達に頼んで、親戚の女の子を紹介してもらったんだ。でも、彼女にしてみれば、親戚に頼まれたけど、よそのおじさんの被写体になって、なんだかイヤだったんじゃないかなあ。途中でもうイヤって帰っちゃった。

目黒フィクションじゃなかったんだ。

椎名それには後日譚がある。ずいぶんたってから北海道で講演をやったとき、楽屋に帰ったら花束とかいろいろ置いてあったなかに手紙だけがあってね、その子だったんだ。

目黒ありゃあ。

椎名あとで、おれの本を読んだらしいんだ。そしたら海辺で十七歳の女の子をフィルムに撮る話が出てきて、これはどうやら自分のことらしいと気がついたんだね。それで、あのとき途中で逃げて申し訳なかったと。

目黒それ、何年後?

椎名もう結婚して子供もいるって書いていたから、かなり経ってたよ。

目黒結婚して北海道に行ったんだ。で、椎名の講演を聞きにいって手紙だけ置いていったと。それ、いい話だなあ。それを書けばよかったよ。楽屋に置いてあった手紙の話から始めて、海辺で撮った話は回想で出てくる。

椎名いまならそうするな。

目黒おれ、実話だとは思わなかった。だから、海辺で少女の姿を三分間だけ撮るなんてキザにもほどがある、そんなことねえだろって。作りすぎだろって思ってた。そうか、もしかすると、これまで椎名の初期作品で、作りすぎだとか批判してきたやつの中に、そういう実話をベースにしたものがあったかもしれないなあ。現実は意外に、そんなふうに嘘っぽいのかもしれない。

椎名そうだな(笑)。

目黒でもね、たとえ実話でも、それが本当だと読者に納得させるリアリティがなければいけないんだけどね。こういう私小説の系統はこの後も書いているの?

椎名書いてるよ。

目黒『はるさきのへび』とか『麦の道』とか、あのあたりがそうか。いずれ順番がきたらここでも取り上げるけど、こういう私小説の系統は全部「青春と読書」に書いてるの?

椎名そのあとは「すばる」に書いてる。いちばん新しいのが『かいじゅうたちがやってきた』。これがアップされるときにはもう刊行されているんじゃないかな。発表誌は変わっても、小B6ハードカバーという本の体裁は『岳物語』から変わってない。

旅する文学館 ホームへ