『ロシアにおけるニタリノフの便座について』

目黒次は『ロシアにおけるニタリノフの便座について』。1987年7月に新潮社から刊行されて、新潮文庫に入ったのは1990年5月。これは寄せ集めですね。小説新潮、SFアドベンチャー、山と渓谷、月刊カドカワなどに書いたエッセイの寄せ集めですね。

椎名寄せ集めはつまらないか。

目黒まあ、面白くはないんだけど、『気分はだぼだぼソース』とか『かつおぶしの時代なのだ』に代表される初期エッセイほどひどくはないよ(笑)。たとえば「万年筆いのち」というエッセイは、万年筆に対する考察と思い出で、「自動車たいへん記」は運転免許をとりにいく話で、あとは講演CM撮影旅とか、つまり行動録がこれも多い。ただし過渡期エッセイなので、そこに余分な感想が入らないからまだ救われている。初期エッセイをいま読むと辛いのは、無理やり書かなければならない感想が、当時は椎名も若僧だから仕方ないんだけど、大人の人間の感想にしては拙いし恥ずかしいからなんだよ。この過渡期のエッセイではその感想が入ってないから、そうなると残るのは行動録だけになる。だから、それほど面白いわけではないけど辛くはない、ということになるんじゃないかな。巻末に入っている「まつりはいいなあ」がいちばんつまらないのは、その「無理やり感想」が入っているからだよね。

椎名月刊カドカワに連載してたやつだ。

目黒だってこれはひどいよ。椎名が海外旅の関係でその月は2日しか空かないと。出来れば1泊で帰ってきたいが、日帰りならもっといいと。で、近場でその日にやっているまつりを探すくだりが出てくるけど、つまりここまでくると見たい祭りでもなんでもない(笑)。それで見に行って感想を書くんだぜ。

椎名そのころは自分で調べてたなあ。自分で祭りを調べて、一人で現地に行って、写真も自分で取って。

目黒えっ、これ、編集者が一緒に行ってないの?

椎名おれ一人だよ。ずっと後年の、週刊現代のグラビアで「海を見にいく」を連載していたときは、講談社のカメラマン、編集者、さらにレポーターとおれの4人旅。楽だったけど、あれは堕落なのかね。

目黒堕落かどうかはともかく、4人は多いよね。レポーターって何をするのよ。

椎名切符を買ったりとかさ(笑)。

目黒カメラマンとコーディネーター、そして椎名の3人でいいよね。

椎名いや、四人いないと麻雀が出来ない(笑)。

目黒何なのよそれ(笑)。

椎名一泊して麻雀して、楽しい仕事だったなあ。

目黒この本で驚いたことが二つある。

椎名なに?

目黒インド男が座りしょんべんをするって話が出てくるでしょ? あれはびっくりしたなあ。

椎名道端でしょんべんをするとき、インドの男は立ち小便ではなく、座り小便をするって話な。

目黒インドに関する本をすべて読んだわけではないので何とも言えないけど、初めて知った。

椎名ドゥティと呼ばれる腰巻きの裾を両手で掴んで左右にひろげて、ひょいとしゃがむんだ。

目黒「これはなんというか実に異様な風景で、私はカルカッタにいる二百万人の阿鼻叫喚的路上生活者の姿よりも、ガンガーの流浪死者よりも何よりも、この男のすわりしょんべんの姿にショックを受けた」と書いているのが椎名らしいね。

椎名あともう一つは?

目黒映画の「関の弥太っぺ」を見て感動したというくだり。

椎名どうして驚くんだよ。

目黒椎名がそんな映画を見ているなんて思ったことがなかった。

椎名見てるよオレだって。

目黒だって時代劇だよ。中村錦之介だよ。

椎名見てるの。

目黒あとは特に語ることがないなあ。そうだ、この書名はいい。うまいよねえ、『ロシアにおけるニタリノフの便座について』。いったいなんだろうと思うよね。読むとたいしたことではないんだけど(笑)、椎名はホントにタイトル名人だよ。

旅する文学館 ホームへ