『赤眼評論』

目黒それでは『赤眼評論』です。これは、オール讀物1982年7月号から1983年12月号まで連載の「全日本賛否両論型録」を中心に、ドリブ、朝日ジャーナル、ナンバーなどに書いたものをまとめたものですね。

椎名寄せ集めか。

目黒これは初期エッセイ集の典型的なやつだね。『気分はだぼだぼソース』とか『かつおぶしの時代なのだ』と同様に、いま読むと、どうしてあのころは面白かったのか(笑)、まったく理解できないというやつ。いいのはタイトルだけだね。このタイトルはいい。

椎名おれも気にいっているんだ。

目黒これは椎名がつけたの?

椎名うん。タイトルはほとんどおれだよ。

目黒前回言い忘れたんだけど、『風にころがる映画もあった』も、いいタイトルだよね。あれは見出しの一本をそのままタイトルにしたんだけど、他の見出しが全部いいというわけじゃあない。たとえば「ゼンマイカタカタの16ミリは電動ノコの炸裂音に砕け散った」とか、「映写機はガリガリベリベリと悲鳴をあげた」とか、「大阪新世界座で見た怪しき小便ぴょんぴょん男」とか、いかにも椎名の初期エッセイらしい見出しが結構あって、いま読むとちょっと恥ずかしくなるんだけど、この「風にころがる映画もあった」というのは30年の風雪に耐える名タイトルだよ。

椎名珍しく褒めてくれるなあ。

目黒おれたちと同世代なら、このタイトルだけで光景が浮かんでくるよね。

椎名当時は学校の校庭や町内の空き地に、スクリーンを張ってそこに映画を写す野外映写会が多かった。

目黒裏側から見るとタダで見れたりして。

椎名そうそう。

目黒話を『赤眼評論』に戻すと、面白いのは文庫版の解説を沢野が書いているんだけど、その中にこういう記述がある。「もともと椎名誠は根が真面目な男なのか、あまりふざけた事が嫌いな男である。それは小学生のときに優等生だったということからもうなずける」。このくだりを読んで、意外だったのは、ほら暴力的だとか喧嘩早いとか、椎名のイメージとあまりに違うから。本当に優等生だったの?

椎名そうだよ。

目黒それなのにどうしてこうなっちゃったの?(笑)。

椎名(笑)お前なあ。

目黒いや、中学のときは少年院に行きそうだったとか、これまでのインタビューでも言ってるじゃん。

椎名小学6年のときにおやじが死んだからかなあ。それまでは公認会計士の父親が息子を全員明治の商学部に入れたんだけど、おれのときはおやじが死んで誰も勉強しろって言わなくなった。母親は自由放任主義だし。それで荒れてた中学校に入ったから、これは悪くなるよな。

目黒おれ、覚えているんだけど、椎名が小学生のころ、学校の鉄棒で遊んでいたら父親が帰ってきて、それでいいとこを見せようとしたら鉄棒から落ちてしまうって小説を書いただろ? 

椎名父親にいいところを見せようとして失敗するのな。で、見てないと思ったら、あんな危ないことをするからだっておやじに怒られた。父親が見てたことをあとで知るわけだ。

目黒あれはどこに書いたの?

椎名増刊号じゃないかな。

目黒ほかに父親のことは書いてないの?

椎名ほとんど書いてない。

目黒もったいないよ。一冊書けるよね。

椎名そうだなあ。

目黒それと細かなことなんだけど、沢野は高校1年のとき中野から千葉に引っ越してきて椎名と同級生になるわけだよね。それなのにどうして椎名が小学生のときに優等生だったと知っているの?

椎名あいつ、おれんちに遊びにくるだろ。そこで小学校のともだちと仲良くなるんだよ、それで聞いたんじゃないか。

目黒あっ、違った。文庫版の解説に書いてあった。椎名んちに遊びに行ったら、小学生のときに椎名が書いた夏休みのヒマワリ観察日記が出てきて、それを見たら「几帳面な字と正確なヒマワリの成長の絵」に感心したって書いてるよ。で、優等生だったんだなと気づいたんだって。

椎名その夏休みのヒマワリ観察日記、「旅する文学館」オープン記念の展示会で展示したよ。

目黒えっ、まだ持ってたの?

椎名母親が取っておいてくれたんだな。

目黒親というのはありがたいものだねえ。

椎名そうだなあ。

目黒じゃあ、今回はこんなものでいいか。

椎名『赤眼評論』の内容に全然触れてないぜ。

目黒ま、いいよ。

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