『海ちゃん、おはよう』

目黒次は『海ちゃん、おはよう』です。これは最初小学館の育児雑誌「P・and」に同題の小説を書いていて、そちらは作品集『はるさきのへび』に収録されている。これはその「海ちゃん、おはよう」と別の作品であると断っておかなければいけないね。

椎名Pちゃんが「P・and」の編集長になって、何か小説を書いてよと言われたんで書いたんだけど、失敗したんだよなあ。

目黒母親の視点で書いたやつだ。

椎名それで懲りて、今度は父親の視点で書き直した。

目黒それが週刊朝日に書いた本書であると。2001年5月に朝日新聞社から本になって、2004年5月に朝日文庫、2007年10月に新潮文庫と。『岳物語』では書かなかった娘のことを書いた長編だね。現実の名前は「海」ではなくて別の名前だけど、この小説では「海」と名付けた。その点では『岳物語』と異なっている。まぎらわしいのは、その新潮文庫版のあとがきで椎名が書いているんだけど、息子の岳が結婚してその娘が「海」と名付けられたこと。つまり、本当の海ちゃんが現れたわけだ。

椎名小説のなかに出てくる「海ちゃん」は大人になってアメリカに住んでいる。現実の「海ちゃん」の伯母さんになる。

目黒そういう現実の話は置いておいて、小説の話に限ると、これが面白いのは、これが中小企業小説であること。

椎名えっ?

目黒語り手の「ぼく」は、デパート業界の小さな新聞社で働くカメラマンで、これも『岳物語』とは異なっているね。あちらの語り手は作家だったけれど、こちらは少しフィクショナルだ。名前も原田だし、奥さんはなみえだし。「その頃妻は港区赤坂見附にある設計事務所に勤めていた」とあるし。

椎名それは実話だよ。

目黒あ、そうなの。じゃあ、現実をベースにして微妙にデフォルメしているんだ。

椎名さっき言った、これが中小企業小説だって、どういうこと?

目黒単行本のあとがきで、

特に最初の子が女の子である場合、少なからず若いお父さんは狼狽するのではないだろうか。小さな異性のニンゲンがいきなり目の前に現れる──のである。(略)本書はそんな、多くの若い父親が体験するであろう人生の一時期の、よく訳のわからない戸惑いや力みや不安や、いまだかつて体験したことのないような歓喜の周辺を、自身の体験の記憶をもとに書いてみた。

と椎名が書いているように、あるいは新潮文庫版の表4に「筆者の実体験を基に描く、しみじみと温かい育児物語」とあるように、本書が新米父親の育児奮戦記であることはたしかなんだ。ただね、語り手の「ぼく」の会社の描写がすごく多い。概算でこの物語の半分は会社の話なんだよ。

椎名へーっ。

目黒編集長の中谷さん、編集総務の飛田さん、社長は山野種一。明らかに創作とわかる人達がたくさん出てきて、そば屋の寒月庵でカツ丼の出前を取ったり、初めて原稿を書いたり、みんなで遅くまで会社にのこって入稿作業をしたり、海ちゃんが生まれる日には名古屋に出張に行ったり、中小企業で働く「ぼく」のあわただしくも楽しい日々が描かれている。

椎名半分もあるの?

目黒椎名の私小説にしては珍しいよね。明るい私小説でも、暗い私小説でも、中心は家族の話であることが椎名の場合は多いんだけど、これは軸が二つあるんだ。家族と会社の二つ。で、その会社の話がほのぼのとして面白い。実体験を反映していないからイヤな上司も出てこないし(笑)。

椎名それは意図しなかったなあ。

目黒いい機会なので聞いておきますが、椎名が私小説を書くときに、語り手を作家にしていかにも作者自身だと思われるように書くときと、この『海ちゃん、おはよう』のように職業をカメラマンにしたりして現実を微妙にデフォルメするときがある。エピソードにしても実話をベースにするときとまったくの創作のときがある。それはさ、どういうときに決めるの?

椎名どういうときって?

目黒書き出す前に決めるのかってこと。今回はちょっと実名では書きにくいことを書くから職業を実際とは違うものにしようとか、考えるのかということ。

椎名何も考えないなあ。

目黒じゃあ、深い考えもなくカメラマンって書いちゃうの?

椎名そうだなあ。

目黒いや、たぶんそうじゃないかなあって思ったんだけどね(笑)。

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