『春画』

目黒ええと、次は『春画』。すばるに連載した作品を7編を収録した短編集です。2001年2月に集英社から本になって、2004年2月に集英社文庫に入っています。これはね、おれ、読んでなかったのかなあ。すごく面白かった。

椎名ほお。

目黒語り手が作家なので、私小説の系譜に分類されるんだろうけど、椎名の現実がほぼ投影されていても、では全部が実話かというと、そうではない。酒場で知り合った女の部屋で明け方を迎える話がちらりと出てくるけど、これ、実話だったら書かないだろうから創作だよね。

椎名そうだね。

目黒名前も微妙に変えている。たとえば、「暗闘」という短編では、能代島の漁師秀次が病気になるんだけど、その秀次は、伊良波島を舞台に以前撮った映画の重要な登場人物だったと出てくる。椎名の映画を見ている人なら、あるいはエッセイの読者なら、あの人だとすぐにわかるんだけど、こうして名前を微妙に変えている。

椎名うんうん。

目黒この作品集が異色なのは、全編に死の影があること。たとえば、表題作は83歳で死んだ母親の話だから、この短編で死がクローズアップされるのは当然なんだけど、他の短編もぜんぶそうなんだ。たとえば、「青空」は高校時代の級友が癌で亡くなってその告別式に行く話だし、「秘密」は母の三回忌に実家に帰る話で、ここでは父の死や友人の死を思い出す。アメリカで家族が再会する「海流」ではサーファーが死ぬし、「風琴」では飼い犬が死ぬ。最後の「暗闘」では凄絶な喧嘩をして相手を殴りつけるシーンで、ずいぶん昔に喧嘩のやり方を教えてくれたゆうさんの死を思い出す。直接の死が登場しないのは「家族」という短編だけだよ。でもこの短編にも死んだ母のことを思い出すくだりが出てくるから、その影がまったくないわけではない。

椎名意識はしなかったけどなあ。

目黒でもこれだけ死の影があるということは、この短編群を書いた2000年ごろに、死というものに感情を揺さぶられるものが椎名のなかにあったということだよ。そうでなければ、一編二編じゃないんだ。ほぼ全編にここまで死の影が漂う結果にはならなかったと思う。

椎名思い当たるのは、そのころ鬱だったことだな。

目黒椎名の私小説は、『岳物語』を代表として「明るい私小説」が中心だよね。こういう「暗い私小説」はきわめて珍しい。しかも、それがすごくいいんだ。特に、「海流」という短編は素晴らしいよ。これはさっきも言ったようにアメリカで家族が再会する話で、目の前にあるのは楽しい話のはずだよね、久しぶりの再会だから、普通ならば胸が躍る光景だったりする。ところがこの語り手は「心配性の私」でね、これも豪放磊落という世間的な椎名のイメージとはかけ離れているんだけど、そういうなかにいるのに、心が沈んでいる。たとえばこういう文章も出てくる。「娘は私たちのいささか意図不明の確執を敏感に気づいているようであった」。この「私たち」というのは「私たち夫婦」ということなんだけど、夫婦のなかにある微妙な食い違いをこういうふうにさりげなく描いているし、白眉は「あなたはなぜ物事の本質をとらえることを恐れるのですか?」という義母の声が蘇ること。これが効いてるね。奥行きのある短編だよ。

椎名物語のベースはぜんぶ本当のことなんだけどな。

目黒最後の「暗闘」もいい。この短編のラスト近くにこういうくだりがある。

縞シャツが私の背後で攻撃をはじめたのだということを一方で理解していたが、でも私はそのまま短髪の鼻のまわりを打ちつづけた。鼻血が噴き出しそれが闇より黒く見えた。やつは呻き、しきりに首をのけぞらせ、私の連続した殴打から逃れようとしていた。しかし私は攻撃を緩めなかった。こういう時は殺すまでやってしまうんだ、というゆうさんの声がアドレナリンで充満した私の思考の全てを支配していた。殺すまで殴っても人間の拳ぐらいでは人間はなかなか死なないからよう、とゆうさんは言った。若い頃に私に汚いやくざ喧嘩を教えてくれたゆうさんはしかし結局はその喧嘩で死んでしまった。

すごく不気味なくだりだよね。語り手の暗い情念が垣間見えるシーンといってもいい。これだけ暗い作品集って、他にも書いてるの?

椎名いや、これだけだ。それに暗い話ばかりを書こうと計算して書いたわけではないから。

目黒そうだろうね。計算したら椎名の場合は、こうは書けない(笑)。

椎名嘘くさくなったりな(笑)。

目黒自分で言っちゃいけない(笑)。たぶん、意図していないから行間から滲み出てくるんだ。あるいは、義母の声が突然蘇るんだ。素晴らしいよこれ。何かの賞の候補になってもよかったと思う。

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