『風の道 雲の旅』

目黒それでは、『風の道 雲の旅』にいきます。これは1994年1月号から婦人画報に2年間連載され、1996年10月に晶文社から横長の本で出て、2004年10月に集英社文庫と。ええと、写文集だね。だから横長の本が合う、ということは当然なんだけど、この文庫もそんなに悪くはない。というのは、その文庫カバーに犬の写真が使われている。これがいいんだよ。犬が店の外にじっと座って、たぶん飼い主が出てくるのを待っているの。これ、いいよねえ。

椎名どれ?

目黒本の中でも使われている写真だけど、カバーに使うところをみると装丁家も気にいったんじゃないかなあ。犬の話を続けると、椎名がこの本で書いているんだけど、パリの高級ホテルで人を待っていたら、毛脚の長いアフガンハウンド系の巨大な犬が入ってきたと。それがまた、胸を張って堂々としてる。で、ロビーにいる客もボーイも眉ひとつ動かさない。そこに長いコートを着た老夫婦らしき二人が遅れてやってくる。犬はどうやらその老夫婦が飼っているものらしい、と文章が続いていくんだけど、とてもいい「絵」だよね。

椎名犬が入ってくと、ドアマンがドアを開けるからね。

目黒ほお。アメリカでもそうなの?

椎名アメリカでは、そういう光景を見たことがない。歴史のあるヨーロッパならではだろうね。イギリスは行ったことがないのでわからないけど、たぶんそうだと思うよ。

目黒あとね、世界中に共通して言えることは、犬がいちばんくつろいでいるのは少年と一緒にいるときだって。これは名言だね。それとこんな文章がある。

「多くの国が、犬を紐でつながずに自由にさせているのは、犬に定期的に餌をあげる余裕がないからでもある。犬に何か食べ物を与える心配をする前にニンゲンが食べるものを探さなければならない」

なるほどなあと納得するよ。

椎名そういう国で繋がれている犬は、病気の犬なんだ。

目黒え?

椎名人に噛みつくとかさ、危険だから繋いでいる。

目黒なるほどなあ。

椎名お前、犬のことばっかりだな。

目黒犬好き読者は、犬の話や犬の写真がどうしても最初に目に飛び込んでくるんだよ。たとえばね、イルクーツクのくだりでは、犬は交互に片足をあげる話が出てくる。マイナス30度だからそうでもしないと冷たくて仕方がないって話なんだけど、こういうのを読むと犬も大変だなあって思うんだよ。そうだ、そのくだりで「イルクーツクはシベリアのパリと呼ばれている」と出てくるんだけど、どんな点がパリに似てるの?

椎名樹が多くて、古い建物が多い。街並みが美しいんだ。

目黒おやっと思った箇所もある。映画の撮影で石垣島に行ったときの話があるんだけど、これはヘンだよなあ。

椎名何が?

目黒中学生くらいの少年に声をかけられるんだけど、少年はその七〜八年前に西表島で椎名と会っているというわけ。数日間、一緒に遊んだというんだ。そういえば、カメラを持って村の道を歩いていると、「チンチン出すから写真とっちょくりい!」って少年から声をかけられ写真を撮ったことがあると椎名は思い出す。でも、少年は一緒に遊んだことは覚えていても、チンチン写真のことは忘れてたというわけ。

椎名それがどうかしたのか?

目黒何の本だっけなあ。ここでテキストにした本に、これと似た挿話があったんだよ。いまその書名を思い出せないんだけど、那覇の空港で会った大学生らしき青年が、「あのときのチンチン少年がぼくです」って声をかけてきたという挿話。あったでしょ? 似てるよね、両方ともに舞台は西表島で、チンチン写真というキーワードも一緒。写真を撮られたことを覚えているやつと忘れているやつの違いはあるけれど,とても似た挿話だよね。この二人が別人なら、椎名が撮ったチンチン少年は二人いたことになる。そうなの?

椎名いや、同じやつだな。

目黒チンチン少年は一人だけ?

椎名はい(笑)。

目黒どっちが正しいの?

椎名那覇の空港で会った青年。

目黒ということは、ぼくがチンチン少年ですって声をかけてきた青年ね。椎名に写真を撮られたことを覚えてたほうね。

椎名はい(笑)。

目黒チンチンを出したがる少年は全国にいるだろうから、二人や三人いたって不思議ではないと思ってたんだけど、椎名が会ったチンチン少年は一人だけだと。

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