『麦酒主義の構造とその応用力学』

目黒それでは、『麦酒主義の構造とその応用力学』です。これは1996年7月に集英社から刊行されて、2000年10月に集英社文庫に入った本です。これは不思議な本だねえ。

椎名不思議って?

目黒12本のエッセイをまとめた本なんだけど、刺身の話、モンゴルで映画を撮っているときに息子が会いに来る話、肛門から内視鏡をいれて調べる話──この3本を除くと、あとはことごとく、いかに小説が書けないかという話に終始している。居酒屋を出たものの西武新宿駅になかなかたどりつかないという話もあるから、これも相当ヘンだよね。それも除けば残りの8本すべてが、小説が書けないことの愚痴なのさ。

椎名ひどいな(笑)。

目黒たとえば、札幌に向かう飛行機の中で原稿用紙をひろげたけれど、まったく書けなかったとか、3日間家にこもって小説を書こうとしたけど書けなかったとか。あとは、こういう書き出しで始めたけど、結局は行き詰まってしまったとか、そんなのばっかし。こういうエッセイが1本や2本、まぎれこむのは珍しくないけど、12本中8本を占めるというのはすごいね。

椎名そうかあ。

目黒これはやっぱりタイトルがよくない。

椎名どういう意味だ?

目黒これ、もともとは「白い原稿用紙」というタイトルで連載したんですよ。で、その意味について椎名はこう書いている。

もともとこの連載タイトルの「白い原稿用紙」というのは、原稿用紙を前に何も書けてなくて七転八倒している状態をあらわしているものだから、いざとなったら何も書けてない白い原稿用紙を編集者に渡し、それを丸めて頭をポカポカ殴ってもらうしかないのだ。

つまり、タイトルからして弱腰なんだよ。原稿が書けなくて七転八倒することをすでに予言しているんだぜ。最初からこういう姿勢だから、原稿が書けないって話ばかりになってしまう、ということなんじゃないかな。

椎名苦しくてもタイトルは強気で攻めろと。

目黒さすがにこのタイトルじゃまずいってわけで、単行本のときは『麦酒主義の構造とその応用胃学』と改題したんだろうけど、これも意味がわかんないし(笑)。

椎名人間にはそういう苦しい時期もあるってことだよ(笑)

目黒あとは個別の質問に移ろうか。「たよりない冬の陽ざし」の中に、サラリーマンのときにどんな漢字でもすらすら書けてしまう川田という同僚がいて、彼にいろんな難しい字を書かせ、それで賭けをした話が出てくる。これは実話なの?

椎名実話だよ。

目黒たとえばA君が「隔靴掻痒!」と言って、それを川田君が書くことが出来るかどうか、まわりの連中が100円とか200円とかを賭ける。

椎名川田君はすごい読書家で、難しい漢字をいっぱい知っているから、よく酒場で賭けをしたなあ。これ、ずいぶんあとに映画に使ったよ。

目黒え、どういうこと?

椎名「あひるのうたがきこえてくるよ」の中に難しい漢字をいっぱい知っている郵便局員を出したんだよ。で、居酒屋でみんながこの郵便局員に漢字問題を出すの。

目黒で、まわりの人間が賭けをするの?

椎名シチュエーションはそっくりにした。

目黒川田君は郵便局員になっていたわけだ(笑)。あのさ、このエッセイの中で川田君はは銀座のバーに勤めている女性に惚れて会社をやめるってことになるんだけど、これも実話?

椎名それはオレの作り話だな。

目黒あのさ、これ、絶対に作り話だと思うんだけど、念のために聞くけど、「怪しいめざめ」というエッセイで、そのむかし、やぶれかぶれで「かつをぶし物語」という小説を書こうと思ったことがあると椎名が書いているんだ。朝起きたら、かつをぶしになっていた男の話だというんだけど、これは作り話だよね?

椎名そんなの、書くわけねえよな(笑)。

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