出版社:講談社

発行年月日:2013年01月30日

椎名誠 自著を語る

とても美しい写真がたくさんのっている大人の娯楽生活情報誌とでもいう『自遊人』に連載したものである。日本中を網羅するとけっこう長い年月経営している店がたくさんあり、百年を基準にして日本全国を概観するとおびただしい数になる。戦災にあっても復興した店もかなりあるから、百年経営しているお店をできるだけ全国各地区まんべんなく取材するようにした。したがって扱い品目も様々で、本当に焼きそばだけを百年作っている店から、メニューが百品目ぐらいあるような大衆レストラン、あるいは3、4世代にわたる伝統の味を守る老舗など、取材した店はそれぞれ異なっていた。
 とても印象的だったのは百年というと大体ひとつの家系で続けてきた場合、30年から40年が一代を築き、それが三代ぐらい続いているケースが多い。そうなってくるとその土地でも押しも押されぬ老舗であり、人に歴史あり、店に歴史あり、のなかなか感動的なドラマが発掘できたりする。
 けれどこういう店もあった。姉妹で経営している小さな大衆食堂だったが、私はこの仕事を始めて50年間、ただの一度も楽しいと思ったことはありません、と淡々と語るおばあさんがいた。長く続けるということは、称賛に値するけれど、続けていく側としてはそれなりに長く苦しい歴史を背負ってきたのだなという思いがけない事実を知るのだった。
 それからもうひとつ、こう書くのははばかられるのだが、百年続いているからと言って必ずしもおいしいものが提供されているわけでもないという残念な事実だった。百年続いてきたのはたまたまその周辺にその店をおびやかす別な勢力が生まれたわけでもなく、かといって極限集落のようになって集落そのものが消滅してしまうということでもなく、じわじわと真面目な昆虫のように歩き続けてきたのだな、ということに感動したりするケースもあった。

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