『むははは日記』

目黒次はええと、『むははは日記』か。1984年9月に本の雑誌社から刊行されて、角川文庫に入ったのが2002年。これ、勘違いしていたんだけど、椎名が本の雑誌に書いたものを集めて一冊にしたものとばかり思っていたら、まったく違う。いろんなところに書いたものの寄せ集めだった。すっかり忘れてた(笑)。

椎名違うのか?

目黒もちろん本の雑誌に椎名が書いたエッセイもあるんだけど、たとえば第2章の「雑誌たちよ」というのは朝日新聞に連載した雑誌論「マガジン・ジャック」の後半部分だね。それがここに収録されている。前半が『もだえ苦しむ活字中毒者 地獄の味噌蔵』に入っているのは以前紹介したけど、後半がここに入っている。これ、いま読むと面白いよ。よく朝日新聞が許したなと思ってね。だっていろんな雑誌に好き勝手にあれこれイチャモンをつけているんだけど、そういう批判以外にも、文章が当時の椎名語というか、ぐちゃぐちゃなやつなんだよ(笑)。

椎名何も言われなかったな。

目黒いやあびっくりした。担当者が大きかったのか、そういう時代だったのか。

椎名でも結構もめたよ。

目黒最後に朝日の記者のインタビューが載っていて、そこで揉めた話を語っているね。

椎名上野動物園のキリンの前に来いとかね。

目黒批判された雑誌の関係者からクレームがきたと。

椎名その愛読者だったかもしれない。忘れたなあ。

目黒これね、有名な雑誌もあるんだけど、無名というかカルト雑誌も結構取り上げているんだよ。そのあたりのバランスがいい。当時無名な雑誌は、朝日でいきなり紹介されて驚いたというか嬉しかっただろうな。

椎名激怒するところから歓喜するところまで、いろいろあったな。

目黒いまはない雑誌もあるから、いま読むと時代の証言という感じがあって面白い。それと、自分の作った本なのに忘れてたんだけど(笑)、時刻表の完全読破に挑んだんだね。旅の1982年3月号に載った挑戦エッセイがここに収録されている。

椎名あれは途中で挫折したんだよ。

目黒文藝春秋に挑んだ男だから時刻表にも挑ませれば面白いと編集者は考えたんだろうけど、時刻表を一人で読んでも面白くならないよね。

椎名そうだなあ。これは本の雑誌が出来てから10年がたっていた?

目黒いや、ええと、7年だね。

椎名寄せ集めて本にしたってのは、経営的に必要だったということか。

目黒いやいや(笑)。それとこれは活字にしてたんだね。NHK大阪の生放送を現場から逃走した件。本の雑誌から出した本なんだから原稿の段階からゲラの段階まで、5回は読んでいるはずなのにまったくこれも忘れてた。昼の生番組で、作家の藤本義一氏とカレーライスのことについて対談するというんでNHK大阪のスタジオに行ったら、「お笑いタレントとかサイケっぽい歌手とかピンクのターバンをまいたわけのわからないヤキトリ屋ふうのおっさんとか、なんだかいろんな人がいるのだ。そのおちゃらけたリハーサルの中に身を投じているうちに、なんだか気恥ずかしさに耐えられなくなってしまった」と書いているね。

椎名藤本さんと二人だけで話をするんだと思ってたんだよ。

目黒そのあとが面白いね。タクシーに素早く乗り込んで大阪空港に向かうんだけど、番組に出てはじめて飛行機のチケットを貰えるんで、つまり椎名は番組に出なかったからチケットがないと気づくところ(笑)。まあ、椎名にも言い分はあるんだろうけど、やっぱりそれからNHKからは声がかからない?

椎名大阪からはね。でも東京は何度も出ているよ。

目黒大阪と東京じゃ違うんだ。

椎名よくわからないけど。

目黒あと忘れてたのは、「さらば昭和軽薄体」を本の雑誌に書いていたんだね。本の雑誌の1983年の29号に書いている。椎名は1979年にデビューしているから、早々と4年目に書いている。もううるせえと。

椎名うるせえよな。

目黒この本はね、本の雑誌社から出た本だからこういうふうに言うわけではないんですが、さっきのマガジン・ジャックとかね、いまよんでも面白いんですよ。たとえば巻末が日記なんだけど、椎名がどこへ行った、何をしたということしか書いてないけど、これが面白いんだよ。ここに感想を入れてしまうと『日本細末端真実紀行』になっちゃってちょっとかったるいんだけど、日記はどこへ行った何をしたという事実しか書かないから、へーっ、椎名はあのときここへ行ったのかって面白い。日記がいまでもいろんな人に好かれる理由がわかったよ。

椎名自分が読んでも面白いよな。忘れてるから。お前の笹塚日記も面白かったよ。

目黒いやいやそれは(笑)。

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