『気分はだぼだぼソース』

目黒それでは、1980年8月に刊行した『気分はだぼだぼソース』にいきましょう。1979年11月に情報センター出版局から『さらば国分寺書店のオババ』を出してデビューして、1980年3月刊の『わしらは怪しい探検隊』が2冊目、1980年8月刊のこの本が3冊目です。これはすごいよ。大半は『オババ』を出したあとに、各誌に書いたものを集めたものなんだ。これだけの短期間によくもまあこれだけの量のエッセイを書いたなと感心する。80年の6月くらいまでに書いたものが1冊になっている。発表誌もばらばらで、「第三文明」「オール讀物」「小説現代」「資生堂美容研究」「人と日本」「HIS」「東宝映画〔がんばれタブチくん〕プログラム」「潮」「婦人公論」「別冊文藝春秋」と、いろんな媒体に書きまくったもので一冊。

椎名粗製濫造の一冊か。

目黒いや、それほどひどくはない。ただ、いま読み返すと『さらば国分寺書店のオババ』同様に、どうして当時あれほど衝撃的だったのかがよくわからない。これだけ短期間に各誌に書いたわりにはだぶった話が一つもないのは驚いたけど。

椎名書くネタがたくさんあったんだろうなあ。とにかく書くのが楽しかった。

目黒まだ椎名が会社に勤めていたころだから、原稿依頼って会社に来てたわけだろ?社内の反応ってどうだった?

椎名何も言われないよ。

目黒そんなによその原稿書いて、なんて言われない?

椎名おれはほら、暴力的だったから(笑)。誰にも言われない(笑)。だって原稿も会社で書いてたもの。おれは治外法権だったから(笑)。

目黒あっ、そうなの? 家で書いたんじゃないの?

椎名家でも書いたけど、会社でも書いた。

目黒原稿の受け渡しは? 当時はFAXがない時代だから、こちらが届けるか、向こうが取りにくるしかないよね?

椎名こっちがサラリーマンであることは向こうも知ってるから、だいたい取りにきたよね。下の喫茶店で渡すとか。

目黒そういうときに長話になったら、仕事に支障がきたすよね。どうしてたの? おれもそのころは、じゃあないな、もっとあとだけど、出版社まで原稿を渡しに行ったけど、喫茶店で2時間くらい担当者と話してそれから帰宅すると半日がつぶれたなあ。でも編集者と話をするのが楽しかった。

椎名おれはいくらなんでも原稿を渡すのにそんなに時間をかけてたら仕事にならないから、時には喫茶店の前で渡していたりしたな。

目黒ところで『気分はだぼだぼソース』ってタイトルは、小説現代に書いた単発エッセイのタイトルで、そこから単行本のタイトルにしているんだけど、その小説現代に書いたエッセイのタイトルはもともと椎名がつけたの?

椎名それは小説現代の編集者がつけたんじゃないかなあ。

目黒小学生のころ、精肉兼菓子パン屋でコッペパンにコロッケ2ケをはさんで、「あっ、おばさん、ぼくのはソースだぼだぼね」と頼んだという話。すごくおいしかったと。あのころのコロッケに比べて最近のコロッケはいかんと。特にカニコロッケは許せない--と展開していく。東海林さだおの影響が強かったんだなあと納得するエッセイだね。それを単行本のタイトルにしたわけだ。単行本では2ページちょっとの短いエッセイでしかないけど、タイトルとしてはすごくいい。

椎名書くのが楽しかったなあ。

目黒巻末に、「日本の異様な結婚式について」という長いエッセイが収録されていて、ええと、80ページもあるから長いよね。さっきの「気分はだぼだぼソース」は2ぺージちょっとだから。これは情報センター出版局が出していた月刊ジャーナリストという雑誌に連載したものだね。

椎名とにかく早く本にしたいと情報センター出版局に言われて、そこの雑誌に連載までしていたわけだ。

目黒内容はいま読むと、ちょっと辛いものがあるけど。

椎名話題を変えようか(笑)。

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