『さらば国分寺書店のオババ』その4

目黒「幕張ジャーナル」は文学同人誌というわけじゃないよね。

椎名木村も書いてたからな。政治無関心層の発生について、という論文を書いたりしてた。

目黒「斜めの世界」って同人誌も出していたよね。あれは何?

椎名「幕張ジャーナル」の改題だな。

目黒高校を卒業した1963年から「幕張ジャーナル」を始めて1965年に「斜めの世界」になって、そして1966年にデパートニューズ社に入社すると。デパートニューズに入ってからは、「斜めの世界」を出してないよね?

椎名サラリーマンになってからは、個人誌「月刊おれの足」を出した。

目黒おれ、それは覚えてないんだよ。オレがデパートニューズ社に入る前だったんじゃないかなあ。おれが覚えているのは、椎名の「月刊おれの足」に触発されて創刊したという沢野の「月刊わたしの手」。それが送られてきて、いまでも覚えているのは、意味のないことをずらずら書いていて、その中に「上野駅で別れたときの、あのむっとした表情は何だったのですか子安君」(笑)というやつ。あれ、「月刊わたしの手」じゃないのかなあ。そのへんの記憶は曖昧だけど。

椎名いかにも沢野が言いそうなことだよな。

目黒たぶん別れ際の子安のむっとした表情が気になったんだね。我々の生活の中にあるそういう些細なことを忘れずに書き留める沢野のセンスは素晴らしいと思うんだ。おそらく子安はむっとなんてしていなかったと思うんだけど。ただ、沢野がそれを気にしているだけで。

椎名あのころはよく壁新聞を作ってたなあ。

目黒なにそれ?

椎名おれも忘れてたんだけど、あるとき講演会に昔の知り合いがきて、椎名君、昔、きみがぼくにくれた「日本切り抜きべたべた新聞」、持ってるよ、と言うんだ(笑)。それ送ってくれたんだけど、面白かったなあ。そういえば、「日本一杯やっか新聞」とかも作って、友達に送ってたらしい。

目黒ということは、読者はその送られた一人だけなんだ。ばかだねえ。

椎名沢野もよく送ってただろ。意味のないFAXとか葉書とか。おれもよく似ているんだよ。

目黒そういえば、昔沢野から暑中見舞いの葉書がきてね、見るとその年の年賀状の残りを使ってるの(笑)。謹賀新年というところを棒を引いて、そこに暑中見舞いって書いてある。あれはびっくりした。そうか、友達なんだからこれでいいんだって、カルチャーショックだったね。

椎名独創的な男だよな。

目黒それで、デパートニューズ社に入るんですが、増刊号の年譜には出ていなかったんだけど、当時いちばん印象に残っているのは、ストアーズレポートに椎名がときどきSFを書いていたでしょ?あれがすごく面白かったんだよ。覚えていない?

椎名覚えている。業界を舞台にしたSFを書いてたなあ。

目黒業界誌なのに、こんなことやっていいのかなあと思ってた。

椎名あれは新年号だな。

目黒そうか、毎号書いてたわけじゃないんだ。

椎名新年号のお遊び企画だよ。でね、新年号が出るといつも上司に呼び出され、椎名君、こんなの全然関係ないじゃないかと怒られるわけ。でもかまわず、毎年書いてた。

目黒ということは、椎名が編集長とはいえ、好きにやってたわけ?

椎名社長も上役もノーチェックだよ。雑誌が出たあとで何か言われることはあったけど、そんなの関係ないし(笑)。

目黒その後社名が変わるくらいの力を持つ雑誌の、内容を知らないんだよ社長は。雑誌が出るまで。それもヘンな話だよな。

椎名あとは、いつも遅れてたなあ。

目黒遅れてたって?

椎名発売が。平気で半月くらい遅れちゃう。

目黒それは椎名の原稿が遅くて?

椎名いや、入稿するのが面倒で。本来ならその週中に入稿しなければいけないのに、いいよ今日は飲みにいこうぜって帰っちゃう。そういうの、おれはだめなんだよ。

目黒おれがいたころも、月に一回、みんなで社に泊まりこんで入稿するんだけど、毎日少しずつ入稿していればそれで済むことだし、なにも徹夜で入稿する必要はないんだよ。無駄なことをする編集部だなあって思ってた(笑)。椎名はみんなで泊まりこむってかたちが好きなんだってずいぶん後年気がついたけど。

椎名普段やらないから、どこかでまとめて入稿するしかない(笑)。

目黒ということは、椎名にとっては、「幕張ジャーナル」も「斜めの世界」も「ストアーズレポート」も、同じようなものだったと。「ストアーズレポート」はさすがに真面目な内容ではあったけど、作る気分としては似たようなものであったと。

椎名そうだったかもしれないなあ。

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