『まわれ映写機』その2
目黒あとね、二十代の後半に映画機材をすべて叩き売ったという記述が出てきて、あ-そうかと思ったんだ。というのは、あの映画上映会つきの新年会は3回くらいしかなかったの。新居に引っ越してからは上映会なし。椎名の性格を考えれば、あの後も映画を作っていたなら、絶対に新居でも上映会をやったよね。それがあのあとは普通の新年会になったということは、映画から椎名が離れたということなんだ。やっといまごろ気がついたよ。どうして映画からあのとき離れたの?
椎名プロ野球選手をめざす高校生がさ、現実にはドラフトにもかからないで、ああオレはだめなんだとプロになることを諦めることってあるだろ。そういう挫折をおれも味わったんだな。
目黒でもさ、何かをしなければ挫折ってしないぜ。どこかのコンクールに作品を出して落選したってことじゃないでしょ。アマチャアで撮ってただけでしょ?
椎名ちょうどそのころ、NHKのドキュメンタリーのレポーターをやったという話はほかの本でも書いているけど、そのときに彼らの使っている機材を見て、驚いたんだ。
目黒サラリーマン時代の話ね。なにか書いてたなあ、なんとかかんとかを使っていたと(笑)。
椎名で、こんなすごい機材を使っているやつらには逆立ちしてもかなわないって思ったんだ。それにフィルムを手でちぎって編集していくんだぜ。編集作業も見せてもらったんだよ。こっちは爪に火をともすような感じでフィルムを使っているのに、予算があるから、ばんばん捨てていく。あれは結構ショックだった。
目黒それで全部売ったと。
椎名雑誌に出したらおやじがやってきて、自分の欲しいものしか持っていこうとしないんだよ当たり前だけど。最後は、じゃあこれもあげます、これもあげますって全部そのおやじにあげちゃった。
目黒椎名誠の挫折体験というわけか。知らなかったなあ。新年会に呼ばれても上映会がないから、すぐに飲み食いできて良かったなあと思うだけで、その意味を知ろうとしなかったよ。
椎名お前なあ(笑)。
目黒この本は二部構成で、前半が椎名の子供時代からアマチュア時代までを書いたもので、後半がホネフィルム編だけど、「ガクの冒険」だけにしたのがよかったね。
椎名そうか。
目黒椎名は映画監督として7年間に5本の作品を作るんだけど、それをいい機会なのでまとめておくと、
- 「ガクの冒険」1990年
- 「うみ・そら・さんごのいいつたえ」1991年
- 「あひるのうたがきこえてくるよ。」1993年
- 「白い馬」1994年
- 「遠灘鮫腹海岸」1996年
という五本ですね。第二部でこの五本をどうやってつくったのかをそれぞれ克明に書いていったら、長大な本になるし、読むほうも飽きちゃうし、記録としてはいいかもしれないけど、これまでに椎名はそれぞれの映画について書いているし、いまさらまとめて書くこともない。だからここでは「ガクの冒険」だけしか触れていない。もちろん、その後の映画のタイトルは出てくるけど、さらっと流している。
椎名ふーん。
目黒えっ、覚えてないの。この本で何を書いたのかって。
椎名覚えてないよ。
目黒じゃあ、どうしてこういう構成にしたのかってことも、覚えてない?
椎名うん。どうしてかなあ。
目黒困ったねえ。
椎名覚えていることもあるぜ。
目黒なに?
椎名サラリーマン時代に当時の社長がフランスに行くことになって、記録としてムービーを撮ってきたいと言うんだ。で、君は映画に詳しいようだから、8ミリ撮影機を買ってきてくれと。
目黒椎名が一緒にフランスに行ったわけではなくて、8ミリ撮影機を買いに行っただけ?
椎名3倍ズームのついたやつを買って社長にわたしたら、ひどいんだこれが。
目黒何が?
椎名カメラを動かし続けるのさ。自分の見たままを映していく。動くものをじっと撮るのが映画だから、まったく逆だよな。だから見るほうは目がまわっちゃう。素人がよくやる典型的な「壁塗り映画」だね。
目黒えっ、なにその「壁塗り映画」って?
椎名左官屋さんが壁を塗るときのように、カメラが動いて映していくのさ。
目黒そうなんだ。
椎名それをおれが編集したんだぜ。ちゃんと観ることが出来るように。結構大変だった。
目黒その話、いままでどこにも書いてないぜ。
椎名そうか。会社の機材として購入したその撮影機、それからはおれがずっと使ったから、書きにくかったのかな(笑)。
目黒じゃあ、書かないほうがいい?
椎名もういいよ(笑)。
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