『新宿熱風どかどか団』
目黒次は『新宿熱風どかどか団』。週刊朝日に連載され、1998年10月に朝日新聞社から刊行され、2001年8月に朝日文庫、2005年11月に新潮文庫と。『本の雑誌血風録』の続編だね。『血風録』の続編があったことをすっかり忘れてた(笑)。前に、どの本だっけ、『血風録』の続篇を書く予定だって記述が椎名のエッセイ集の中に出てきて、これは何? と質問したら、椎名が『海ちゃんおはよう』かなあって。おれも忘れてたけど、著者も忘れてた(笑)。
椎名続篇を書いていたんだ(笑)。
目黒単行本のあとがきに「本書の最後が少々唐突に終わっているのだけれど、作者としてはあともうひとつこのシリーズの続編を書いて、それを最終回にしたいと思っているので、どうかそれをオフクミおき願いたい」と書いているんだけど、その「最終回」は本当にないよね(笑)。
椎名それは間違いなく、ない。
目黒こまかなことを先に指摘すると、「目黒考二が前に勤めていた会社で不要になった室内型エアコンを一台貰ってきた」とあるのは間違い。これは沢野の会社から貰ったんだと思う。
椎名そうか。
目黒シンガポールの伊勢丹オープン時に、開店記念パーティに招待されていく話が出てくるんだけど、このときマレーシアやバンコクまで足をのばしてムエタイを見に行ったんだね。そのときの体験をもとにしたのが、椎名初の小説「ラジャダムナンキック」だったんだ。
椎名海外にデパートがオープンすると、たいていおれが行ってたな。
目黒パリの三越のときも椎名は行ったよね。あれは、このシンガポールの伊勢丹オープンの前、あと?
椎名あれは前だよ。
目黒あのとき、パリから椎名がハガキをくれてね、それを今でも覚えている。まだ椎名がタバコを吸っているころだったから、「ショートホープの残り本数を淋しく数えています」って末尾がうまいなあって思った。
椎名へー。
目黒テアトル東京と大阪のOS劇場が東西の、つまりは日本にただ2館の、シネラマ上映劇場だという記述が出てくるんだけど。
椎名それは間違いだな。名古屋の中日シネラマ劇場というところがあった。
目黒そのシネラマって上映方式は今でもあるの?
椎名今はないよ。
目黒テアトル東京に「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」を菊池仁をはじめ編集部の面々と見に行くくだりがこの長編の中にあるんだけど、「舞台がなくて客席は前方からぐいーんとせりあがって、スクリーンにまでつながっている独特のつくりであった。音響がとてつもないひろがりと厚さをもっているので、ここで大型映画を見るとその時間は確実に映画の世界に没入した」って、なんだかすごいよね。どうして今はないの?
椎名撮るのも上映するのも大変なんだ。詳しく説明してもお前にはわからないだろうけど。
目黒ふーん、じゃあ、いいや。前作の『本の雑誌血風録』は、1976年の創刊から1980年までの5年間を描いていたんだけど、この『新宿熱風どかどか団』は、1980年から1982年の春までの2年ちょっとを描いている。椎名がマスコミの世界に飛び出していったころを背景にしているから、たった2年間なのに中身は濃い。
椎名全然覚えていないなあ。
目黒ようするに、『もだえ苦しむ活字中毒者 地獄の味噌蔵』を出して、黒字倒産しそうになってなんとか金をかき集めて税金を払うまでの話が背景になっている。だから、椎名はあとがきで「少々唐突に終わっている」と書いているけど、そんなことはないよ。とてもいいラストだぜ。
椎名どんなラスト?
目黒沢野はどうしてる、と椎名が聞くんだけど、会社のこととか家のこととかシーナさんのこととか、いろんなことに怒って昨日下北沢の寿司屋でテーブルをばんばん叩いてましたとゼンジが答えると、飲みにいこうか目黒、と言ったあと、椎名がゼンジにこう言うんだ。「ゼンジ、沢野をみつけてつたえてくれ。いまわが社には膨大な借金があるから──そうだなあ約一億円といっておいてくれ。だから池林房まで至急に来るように、と」。そこで、ストンと終わるんだ。ね、いいだろ?
椎名ふーん。
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