『突撃三角ベース団』

目黒それでは、『突撃三角ベース団』です。週刊文春に連載していた「新宿赤マント」シリーズの第9弾。1998年7月に文藝春秋から本になって、2001年6月に文春文庫と。椎名は「自著を語る」の中で次のように語っている。

この頃ぼくは沖縄で漁師たちがやっているヘンテコな三角ベースに触発されて、東京にその新しい漁師海浜スポーツとでもいうような昔の遊びをはやらせ、その組織作りに熱中していた。スタートして3年間くらいは集中的にそのことに没頭するという、ぼくの熱しやすくさめやすい性格を、まあひとつきれいに表した時代の一冊というわけである。

これは浮き球野球についての話なんだけど、本当にそうだよね。木工も映画も、最初は夢中になってやってるけど、気がつくと終わっている(笑)。3年くらいやってると飽きちゃうの?

椎名いや、10年はやるんだよ。最初の3年は何もないところから組織を作るだろ。これが面白いんだ。すっかりはまっちゃう。で、組織が出来ると、あとはなんとか転がっていく。で、10年たつころには身を引いている(笑)。

目黒じゃあ、浮き球野球はもうしてないの?

椎名すべての役職から抜けたから。

目黒いちばん長かった「遊び」は、もしかすると本の雑誌かな。

椎名そうかもな。

目黒熱しやすく冷めやすいってのを、自分でもわかってたとは意外だった(笑)。

椎名お前なあ。

目黒新宿の中村屋で北上次郎とSFについて対談、という記述があるんだけど、これ、どこの対談? 本の雑誌の対談なら中村屋でやらないだろうから、別の雑誌だよね。

椎名そんなの覚えてるわけないだろ。

目黒久しぶりに熱をこめて話した、と書いているんだけど、媒体は何なのか書いてないから、こういうのは気になるんだよ。そのくせ、「終了後、麻雀で役満四暗刻をあがった」と書いている。こういうことは書いているんだ(笑)。

椎名まあ、役満をあがるのは珍しくないな(笑)。

目黒新潟の寺泊の旅館の広間で大宴会をする話が出てくるけど、これも細かなことは書いていない。その直前に、「親しい友人らがたくさん待っている」と書いていても、どういう仲間なのかは書いてないんだ。旅館内のスナックでカラオケ大会になり、椎名は独唱で沖縄の「花」を歌っている。これは何の集まりなの?

椎名これは、「遠灘鮫腹海岸」を映画にしたときだな。

目黒打ち上げか。てっきり浮き球野球の大会があって、そこに椎名が行ったのかと思った。この本は書いてないことが多くてね、この最たるものが、「黄金のヒミツ島へ」という回。「これまで何百回となくキャンプをしてきたが、その歴代キャンプの中で文句なくベスト3に入ると思われる日々をすごしてしまったので、いまわが精神も肉体もボーッとしてしまい、社会復帰に時間がかかりそうである」というんだけど、その島の名前はあえて書かないって言うんだ。秘密にするって珍しいよね。なんで島の名前を書かなかったの?

椎名これ、どこの島だろ?

目黒(笑)それ、いいなあ。秘密にしちゃったもんだから、あとから読むと本人にも島の名前がわからない(笑)。

椎名まあ、沖縄の島だろうけどな。

目黒あとね、「ANAは喫煙OKで、二階のスーパーシート席など、禁煙席はあってもタバコの煙は狭いキャビンに充満して殆ど意味がない。タバコの煙に弱いぼくはANAのこの無神経さが嫌いだ」と買いている。この赤マントは1997年2月から12月まで連載した分をまとめたものだから、1997年の段階ではまだ飛行機のなかでタバコを吸っていたんだね。ずいぶん前から航空機内は禁煙だとばかり思っていたけど、違うんだ。

椎名喫煙席と禁煙席の間に、カーテンを引くとかそういう配慮もないんだぜ。だから、喫煙席に近いところにいる人たちのところへは、禁煙席にいても煙がばんばん来る。

目黒ふーん。そういえば、埼玉県の本庄で道に迷うくだりも出てくるけど、ずっと昔からナビがあるような錯覚をしてたけど、このころってまだナビがなかったんだ。

椎名ナビがあれば迷わないよな。

目黒それと、これは凄い話だよね。「釣りバカ日誌」のロケ地に全国から三十都市くらいが応募してきて、ロケ地に選ばれると松竹に四千万くらい渡すって、これ、本当なの?

椎名本当だよ。四千万出してもそれ以上の経済効果があるってことだろうな。

目黒あとさ、第9弾目で今さらこんなことに気づくのは遅すぎるんだけど、見出しは誰が付けてるの? 椎名、それとも編集者。

椎名ほとんどはおれ。

目黒うまいよね。たとえば「小倉で夕陽、日田で蝉」。何気ない見出しだけど、情感がある。これまでも、いい見出しがあったんじゃないかって気がする。

旅する文学館 ホームへ