84杯目:異郷迷子のススメ

84杯目

なかなか良質な迷子を堪能した
韓国江原道江陵市/竹田聡一郎撮影
(“チェキ” instax mini 8)

竹田迷子になったことはありますか?

椎名なんだ、突然。そりゃ小さい頃なんかにはあるだろうけど。

竹田大人になってからはどうですか?

椎名どういう意味だ。パタゴニアで馬が暴走して、知らない世界にどんどん行ってしまって焦ったことはある。

竹田おお、スケールが大きい。

椎名でも迷子っていうくらいだから、大人はただの行方不明なんじゃないの?

竹田そうかもしれませんが、とにかく僕は迷子に憧れているんです。迷子になりたくて仕方ないんです。

椎名……竹田よ、薬物だけはやめなさい。

竹田ひどい。真面目なのに。

椎名ちゃんと説明してくれよ。

竹田僕はたいして売れてませんが、一応、ライター業1本で頑張っています。

椎名知ってるよ。

竹田フリーランスになった2004年にちょっと無理してサッカーの欧州選手権を観にポルトガルに行ったんです。駆け出しで仕事なんてほんのちょっとしかなかったので大赤字取材旅でしたが、安宿に泊まって焼いたイワシを肴にビール飲んで。

椎名サルディーニャス・アサーダス。あれはうまい。

竹田1尾1ユーロでした。白ワインも1杯1ユーロだったから、がぶがぶ。あれ、なんの話でしたっけ?

椎名貧乏だけど海外に行った話。

竹田そうそう。でもガイドブックに頼ったり、沢木耕太郎さんの『深夜特急』は大好きですけれど人の旅をなぞるようなことはしたくなかったので、ほぼ現地情報を持たずに出かけたんですよ。

椎名いいじゃないか。

竹田はい、それが本当に楽しくて。そこでほぼ迷子になるような事態に何度も陥ったりしたんですけれど、なんというかゾクゾクワクワクしていて。

椎名そういうことね、だいたい分かった。

竹田だから、その後も1年に1度は知らない土地に出かけようと決めたわけです。もちろん取材をからめるケースもあるし、まったくのプライベートの時もありました。

椎名ふんふん。

竹田でも、このコロナで渡航ができなくなって。2019年に中国の深圳に行ったのが最後です。

椎名まあ、仕方ない。

竹田一方で、この情報化社会を煮詰まらせた現代は口コミや「いいね!」ばかりが先行し、秘境も未踏もあったもんじゃない。

椎名SNSというやつか。

竹田そうなんです。誤解を恐れずにいえば、SNSを使って「ここに行きました」という足跡やアリバイを残そうとみんな躍起になっている。だからといって、その隙間を縫うように誰もまだ行ってない異郷の土地やグルメを探す旅というのも馬鹿みたいだし。

椎名それはそれで情報に振り回されているよな。

竹田おっしゃる通り。だから、情報のない状態の迷子というのは現代においてもっとも贅沢なエンターテイメントなのでは。ぼかあそう愚考するわけです。

椎名で、この写真のところに行ってきた、と。どこなの?

竹田韓国の江陵という街です。朝鮮半島をソウルからまっすぐ東に横切った日本海側の海沿いです。2018年の冬季五輪の舞台でもありました。

椎名取材で行ってるから、土地勘あるんじゃないの?

竹田そうですね。オリンピック取材やカーリング観戦で、実は4度目の訪問です。

椎名不正じゃないか。

竹田不正って言われても。

椎名世界迷子連盟は許さないと思うぞ。

竹田それいいなあ。宮田珠己さんあたり理事に名前がありそうですね。ご指摘のとおり土地勘はあるので、今回はカーリング場からあてもなくずんずん遠ざかっていく、椎名さん的に表現するのであれば、積極的目的皆無徒手異国迷子。もちろん携帯など使わない。

椎名どうなったら迷子なの?

竹田それも世界連盟に決めてもらいましょう。でも、「どこだここ?」となんだか笑えてきて、日本語も英語も通じなくなったらほぼ迷子です。不安を煽るようにカラスが鳴いたりしたらなおいいなあ。小雨なんかも効果的です。

椎名細かい条件はよく分からないが、まあ不安になるのは大きなポイントかもな。

竹田うまい麺屋とか鍋屋とかあったら棄権はOK。

椎名ううむ、魅力的だな。すぐ棄権してしまいそうだ。

竹田この写真は途中で川があって素敵な遊歩道があったから撮ったのですが、生活に根ざした道だったので嬉しかったです。

椎名地元の人しかいない市場とかいいよな。

竹田市場! 市場についてはいろいろと言いたいことあるので、近々、別でやりましょう。僕はネギが安いと心を揺さぶられてしまうんです。

椎名どういうこと?

竹田東京はネギが高いんです。スーパーで1束200円とかする。でも、地方に行くと倍の量で100円だったりする。

椎名そういうこともあるだろう。

竹田ネギとか薬味はケチっちゃいけないと思うんです。だからネギが安いと国内外問わず「ああ、ここに住めるなあ」と考え込んでしまう。「誰も知人のいないこの土地で新しい生活を始めたらどうなるんだろう」とか思うんですよね。おかしいですかね?

椎名おかしくないよ。そう考えることは誰でもあるんじゃないかな。

竹田椎名さんは『パタゴニア』(情報センター出版局)に収録されている「長崎の女」で、漂浪の願望みたいなものに触れていますし、昨年、発売した『失踪願望。』(集英社)でも、同様の思いを燻らせてます。

椎名失踪も漂浪も迷子も根っこは同じなのかもなあ。

竹田かもしれないですよね。僕の江陵迷子は途中でニンニクで揚げたチキンを食べビールを2本飲んでなお歩き続けたら、遠くに自分が泊まっているホテルが見えたので、そこでおしまい。その時、少し残念だったと同時に、安心もしたんですよね。だから僕は失踪などできなくて、迷子が身の丈にあっているのかもしれません。

椎名失踪という言葉の範疇をどう捉えるかだろうね。それについて一度、考えてみよう。たまには知らない街で。

竹田それいいっすね。すぐやりましょう。

椎名誠:バカ酒作家。自宅での黒ビールブームはしばらく続きそうだ。

竹田聡一郎:フリーランスのライター。夏に向けて自宅ではカイピリーニャ。

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