55杯目:冷たい水の出る沢

55杯目
昭和11(1936)年に完成した稚内のシンボルのひとつ
北海道稚内市/竹田聡一郎撮影
(“チェキ” instax mini 8)
 
 

椎名 なんだか夏から初秋にかけて君は東京にいなかったね。

竹田 そうなんです。公私共にバタバタしておりました。文字通り北は北海道、南は沖縄と出かけてました。貧乏暇なし。

椎名 それでこの写真はどこなの?

竹田 相撲ファンなら分かるはずです。大横綱・大鵬が上陸した町です。

椎名 上陸? あの人は樺太出身だっけ。

竹田 さすがです。北海道への引き揚げ船で稚内に来たそうです。

椎名 稚内か。思えば遠くに行ったもんだ。この写真は稚内のどこなの?

竹田 かつて稚内が旧樺太航路への重要拠点だった時に、港へ通じる道や線路を波から守るために作られた防波堤なんです。大鵬上陸記念碑もすぐそばにありました。

椎名 街はどういう様子なんだ?

竹田 鹿がたくさんいました。ノシャップ岬という夕陽の名所があるんですけれど、そこのパターゴルフ場にうじゃうじゃいました。

椎名 鹿さんは何してるの?

竹田 草を食んでます。割と街中にもいるんです。住宅街を歩いてたら駐車場みたいなところに親子がいて、もしゃもしゃ雑草を食ってました。

椎名 まさに「道草を食う」だな。

竹田 うまいこと言わなくていいんですよ。僕は驚きつつ距離を取りながら携帯で写真を撮ったんですね。

椎名 現代人だねえ。

竹田 そしたらちょうどジャージ姿の女子中学生がふたり通りかかって、鹿ではなく僕に珍しげな視線を送ってきました。

椎名 なるほど。鹿なんては珍しくないけれど、そんなのを写真で撮る君が珍しい存在だったのか。

竹田 北海道もあをによし。

椎名 メシ方面は?

竹田 当然、海鮮です。稚内はオホーツク海にも日本海にも面しているので。「雑魚や」で食べた刺身の盛り合わせ、「甚八」で食べたカレイの煮付け、「よしおか」で食べた箱ウニ。どれも最高でしたわ。

椎名 ぜんぶ、居酒屋?

竹田 そうですね。料亭でタコしゃぶを食べたかったんですが、貧乏なので。おごってください。

椎名 考えておくよ。でもこうして地方の話を聞いているのは楽しいな。行ったことあるはずなんだけどな。

竹田 椎名さんは一撃離脱系の旅が多いから忘れちゃうのでは。あと興味深かったのは、稚内って普通に街中にロシア語表記があるんですよね。

椎名 樺太と稚内なんて数十キロだもんな。

竹田 よくご存じで。サハリン最南端のクリリオン岬と日本最北端の宗谷岬は約43キロ。1マラソンです。

椎名 行き来は今もあるの?

竹田 稚内とコルサコフという港を4時間半でつなぐ定期航路があったのですが、2019年から休止です。今は戦争もあって早期の復活はちょっと厳しいかもしれません。

椎名 戦争はバカだよなあ。いいことが何もない。

竹田 エルサレムだったりイスタンブールだったり、文化が交わる都市ってやっぱりどこも面白いから、早く戦争なんてやめて、また行き来できるようになればいいのに。

椎名 君はロシア語できるの?

竹田 できるわけない。あ、そういえば椎名さんの孫の風太がロシア語やアイヌの文化に興味あるみたいですね。

椎名 そうなんだよ。あいつ頭いいんだ。

竹田 この前、ちょっとその話になって「おれ、この前、稚内行ったよ。稚内の語源は『ヤムワッカナイ』という、冷たい水の出る沢という意味なんだよ」とか偉そうに説いたんですよ。

椎名 知ってたろ。

竹田 そうなんです。それどころか「ナイ」という言葉が「川」を指すことが多くて、札幌市内では「真駒内」なんてそれに当たるんですって。彼にいろいろ教えてもらいました。これからは先生と呼びたい。

椎名 俺は検索ができないから時々、調べ物とかしてもらうんだ。

竹田 ああ、そうなんですね。でも今の子は検索という武器があるから研究という意味では入口には立ちやすいんですよね。ただ、そこから独自の切り口を持てるかが大切になってくると思うんです。

椎名 そうだなあ。彼がどうなるかは別としても、若者が何か調べたい、どこか行きたい、となった時に、稚内と樺太のように戦争をはじめとした大人のバカげた事情で道が閉ざされているなんてことは本来、あってはいけないことだ。

竹田 御意。早く戦争が終わって航路も復活して、俺たちは稚内の港から旅立つ風太に手を振って居酒屋に向かう。そんな日が来るといいですね。

 

椎名誠: 旅するバカ酒作家。ビール、ワイン、日本酒、ウイスキーなんでもござれ。

竹田聡一郎:旅するフリーライター。「椎名誠 旅する文学館」の館長。広島カープのファン。

旅する文学館 ホームへ