53杯目:海のオバケたちの正体

53杯目
作ったのはオバケたちかな。
千葉県千葉市/椎名誠撮影
(“チェキ” instax mini 90 ネオクラシック)
 
 

竹田 新日本出版の『出てこい海のオバケたち』を拝読しました。

椎名 ありがとう。

竹田 表紙の写真もタイトルも印象的ですねえ。

椎名 装丁も正四角形に近いようで楽しいんだよね。気に入ってるんだ。

竹田 表紙カバーを外すと緑の怪しい波間になるの知ってます?

椎名 芸が細かいね。宮川和夫さんにデザインをお願いしたんだけれど、こちらの予想を上回る楽しい本にしてくれた。

竹田 惜しまれながら休刊した「アサヒカメラ」の写真連載をまとめた本、という捉え方でいいですか?

椎名 アサヒカメラに31年間連載していた間、3年から5年くらいの間隔で写真集として出していたんだ。その5冊目にしてシリーズ最後の本になった。今回は人物、特に子供の豊かな表情を中心に編集してもらった感じですな。

竹田 そのあたりは「あとがき」に書かれていますが、そこで椎名さんが写真に対してすごく謙虚に、読者に対して真摯に、そして編集者に対して最大限の尊敬を持って向き合っているなと感じました。久しぶりに椎名さんのあんな丁寧な文章を読みました。

椎名 丁寧謙虚真摯のシーナと呼ばれているんですよ、実は。

竹田 誰にですか?

椎名 まあいいじゃないか。あんまりしつこく追求するとヤボの竹田と呼ばれるぞ。表紙の3人の子どもはバリ島で撮ったんだけれど、なんとなくタイトルと相性が良くて気に入ってるんだ。いいだろう。

竹田 謙虚はどこにいったんですか。でも、夕方の雰囲気と少し遊び疲れた感じもあって、確かにいいですね。旅に出たくなってしまう。

椎名 面倒だなと感じる時もあったけれど、カメラを持ってあちこち行くと「あ、あれを撮りたいな」と思える。それで立ち止まる。その時間は幸せなんだと思う。

竹田 僕もちょこちょこ旅に帯同させてもらいますが、例えば車を運転していると椎名さんが急に「ちょっと停めてくれないか」と言うじゃないですか。

椎名 うん、昔は運転するのも好きだったけれど、カメラを持っていると運転せずに助手席や後部座席からなんとなく面白いものを探す。それはけっこう楽しいんだ。

竹田 「停めてくれ」と最初に言われた時は立ちションでもすんのかなと思っていたのですが、ガルンガンの写真なんてまさにそのパターンで、車を降りてどんどんお祭りの行列に近づいていく。そこで笑った子供たちを撮ったり、あるいはお祭りに夢中になっている子供たちを撮ったりしていた。ぼくらはそんな椎名さんを撮ったりもしてました。

椎名 そうだったのか。初めて聞いたなあ。

竹田 でも、もうこういう写真集は簡単には作れないかもしれないですね。

椎名 どうして?

竹田 ひとつは肖像権の問題があります。登場人物にこれに載せるから、と説明していないでしょう?

椎名 しているわけない。それはみんなに指摘されるな。でも撮っている時にお互いにハッピーな感覚があるから、人間としてはそれを信用しているよ。

竹田 なるほどー。本来は「撮らせてくれてありがとう。かっこうよく撮ってくれてありがとう」だけで済む話なんですけどね。今はSNSに載せるだけでも訴えられたりしますから。

椎名 確かにそんな面倒なことになるなら撮らなくていいやあ、となってしまうのは写真界にとっては大きな問題だよね。

竹田 あとは単純に時代の問題です。例えば青森の朝市の写真があるけれど、あそこで紹介されているのっけ丼は僕も大好きです。

椎名 あの雑多な感じと外の寒さと魚介の匂いがいいよなあ。

竹田 あれはひと昔前は、丼ご飯片手に、お店のおいちゃんとかに100円とか200円を渡して、サーモン刺身を2枚とかいくらをスプーン1杯とか、好きなタネをのっけてもらう。だから「のっけ丼」だったんです。

椎名 今は違うの?

竹田 のっけてもらうこと自体は同じなんですけれど、チケット制になっちゃったんですよね。まとめて受け付けで払ってチケットをもらってそれを店の人に渡す。小銭を出すよりは便利なのかもしれないけれど、合理化はいつも情緒を奪うんです。

椎名 いいこと言うね。

竹田 竹富島もすっかり観光地になってしまったし、気怠さと活気が両立するベレンのマーケットも作中の写真のまま現存しているかどうかは分かりません。

椎名 それは寂しい話だな。

竹田 帯のカバーに「シーナのカメラ人生、一つの句読点。」という名文が載っていますよね?

椎名 いいよな、あれ。編集者がつけてくれたんだ。そうかあ、そうなのかと思ったなあ。

竹田 今はスマホのカメラが優秀でなんでもできちゃう。写真のあり方も大きく変わってきてますよね。

椎名 そうだね。だからここで写真にひとつの区切りがあったのは幸せなことだったのかもしれない。

竹田 まさにそれで、この本をめくっていくと「そうだよなあ、こういう時代だったよなあ。不便もあったけれどあれはあれで良かったよね」という感傷のようなものも抱くんです。同時に写真からは返還前の香港みたいな熱気と期待も感じられる。

椎名 今日はずいぶんいいこと言うじゃない。

竹田 いつも言ってますよ。名言明示叙説のタケダと呼ばれていますから。

椎名 誰にだ?

竹田 最後に目次周辺にある挿絵はなんかメッセージがあるんですか?

椎名 ふふふ。

竹田 あー、これはつまりいつもの、なんにも考えてないやつだな。

椎名 ふふふ。

 

椎名誠: 作家。この夏は甲子園をちゃんと見ていたらけっこう面白いなと思った。高松商業はいいチームだったのでさぬきうどんを食いに行きたい。シンプルなぶっかけがいちばん好きだ。

竹田聡一郎:フリーライター。SNSに飽きてきた。秋に中期のソロキャンプ旅をやろうと思っているが、要所要所で友人がスポット参戦してくれないかなとも期待している。ひとりはさみしい。

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