『哀愁の町に霧が降るのだ』その1

目黒それでは『哀愁の町に霧が降るのだ』にいきましょう。情報センター出版局から1981年10月に上巻、1982年2月に中巻、同年11月に下巻と、最初は3巻本でしたが、1991年10月に新潮文庫に入ったときは上下巻です。これは再読している?

椎名してないなあ。

目黒今回三十年ぶりに再読したんだけど、すごく面白かった。というのは語り手であるシーナ青年というのか少年が、ひたすら暗いんだよ。その暗さが際立っている。たとえばね、高校を卒業後、脚本学校の先輩である小野さんを訪ねていって、シンガーソングライター志望のノッチという女の子が男とどこかへ行ったことを聞くくだりがある。その帰りに電車の中で目が合った男と目が合っただけで黙って電車を降りて川原で殴り合うシーンに続くんだけど、迫力満点なんだ。歯を3本折られてシーナが倒れるんだけど、口の中でぷちぷちって歯が折れるシーンはとてもリアリティがあふれている。このシーンが不気味なのは、ノッチは恋人というわけではないんだ。ちょっと気のある女の子というだけなんだよね。つまり、そのころのシーナはいつも爆発寸前で、暴力衝動を押さえていたんだけど、ふとしたことで、その蓋が取れると爆発してしまうということだと思う。つまり、失恋して怒ったということではなく、ノッチの出奔はただのきっかけなんだ。この精神の暗さが物語の底流にある。

椎名なるほど。

目黒もう一つは高校時代に怪我して入院したとき、朝礼でそれを指摘されると、「うるせいやあ、もういいやあ、うるせいやあ」とシーナが言うくだり。ここにも投げやりなシーナ少年の心情が投影されている。沢野ひとしや木村晋介たちとの交友が胸に残るのは、この前向きで明るい男たちと会うことでシーナ少年の心がほぐれていくからなんだよ。著者は「違う文化圏の男たち」という表現を使っているけど。

椎名あいつら、「君」と言うんだ。あれには驚いたなあ最初。「君」なんて言うやつ、千葉にはいなかったから(笑)。

目黒十代の後半というもっとも多感な時期に沢野ひとしや木村晋介と会うことで、シーナ少年はきわどいところで道を誤らずに済んだんだなあということが伝わってくる。沢野や木村が特別に人格が優れていたというわけではないんだけど、その明るさに救われたんだと思う。断言してもいいけど、もし高校時代に彼らと会わなかったら、あなたはおそらく少年院に行くような人生を送っていたと思う。いや、そうだったんじゃないかって、これを読むとそう思ってしまうということだね。そういう交友録だから胸に残るのであって、ただのアホバカ交友録なら残らなかったと思う。このことに再読してみて初めて気がついた。

椎名そうだな、事故を起こすか、暴力沙汰に巻き込まれるとか、そういう人生を送っていたかもしれない。

目黒その暗さと明るさの対比がとても効いている。どうして初読のときに気がつかなかったのかなあ。ということで、最初からいきましょう。まず、いちばんの疑問は、沢野との出会いは書かれているよね、高校に入ったとき、校庭で整列したらシーナの前にいた男でスルリとシーナのうしろにまわって、シーナがまたそのうしろにいこうとしたら耳元で「空気銃で撃つぞ」って言ったと。で、木村晋介との出会いは、その沢野の家に行ったら木村がいたと。最初からはうちとけないんだけど、まあそれが出会いだと。ところが高橋イサオとの出会いはこの本で描かれていないんですよ。これがただの脇役ならわかるんだけど、克美荘で共同生活した四人のうちの一人ですよ。つまりこの本の中では重要人物なのに、どうやってシーナと知り合ったのか、何も描かれてないからヘンなんだよ。

椎名そうか。イサオは親しすぎるから書かなかったんだなあ。小学校中学校の同級生だから。

目黒中学校からの友達、というのはちらっと出てきたような気がするけど、小学校から一緒だったの?

椎名家も近所だったし、小さいときからの友達というか、オレの子分だったんだ。

目黒沢野と木村に関しては、お兄ちゃんがどうしたとか、家がどうしたとか書いているんだけど、イサオに関してはどういう家の子とか、なにも描かれない。

椎名実家は精肉店だよ。

目黒いま言われても(笑)。

椎名ホントにいいやつなんだよ。

目黒にごりめ高橋のことだよね?

椎名そうそう。

目黒とするとね、小中学校で一緒だったイサオと、高校で同級になった沢野、さらにその沢野の友達の木村を、どこかで会わせているはずだよね。いちばん最初。そのときに最初からうちとけたとか、最初はイサオが照れて何も話さなかったとか、何かドラマがあるはずだろ。それがなにもないから、読者にとってはヘンなんだよ。

椎名まだプロじゃなかったから、そういう配慮がなにもなかったんだな。

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